無駄の美学

学生の頃、一番親しかった友人とよく話していました。
無駄の美学ってあるよね?と。その友人とは現在も親交があり、そういった発言が通じる数少ない友人です。

先日、10歳の長男が漢字練習をしながら泣いていました。90点以上取れるまでエンドレスリピートされるテストの為漢字暗記です。

「こんなのやっても無駄!やってもやらなくてもどうせ覚えられない!学校の勉強は無駄!」

と泣きながら叫んでいました。お風呂に入りながらこんな話をしました。

くまおさん
※長男は漫画家志望です。
「漫画の原稿用紙ってさ、周りに余白があるでしょ。余白には絵も字も書かないよね?でも、もしも余白のない原稿用紙だったらどうだろう?とても描きにくいよね。」
長男
「そうだね。描きにくいね。」
くまおさん
「例えば、紙にポケモンの絵を描くことになったとするよね?もしもピカチュウしか書くことが出来なかったとすると、どんな背景でもピカチュウを書くよね?もしも、ピカチュウとポッチャマとフォッコの絵が描けるとしたら、背景に合わせて描くキャラクターを選ぶことが出来るよね。背景が海だったらピカチュウよりもポッチャマを書いた方が似合うわけだ。でもポッチャマを書くってことはピカチュウとフォッコの絵を描けるってことは無駄という事になる。でも、その無駄を持っているからこそ選べるんだよ。」
長男
「うんうん。」
くまおさん
「もしもドラえもんのパートナーが出木杉君だったらどうする?ドラえもんいらなくなっちゃうよ。のび太というろくでなしが存在するからドラえもんが引き立つんだよ。」
長男
「なんとなく分かってきた。」
くまおさん
「これは算数も一緒。いま体積の勉強してるでしょ?体積の勉強が分かるようになって初めて面積が日常で使えるようになる。分数の計算が出来る様になって、はじめて割り算掛け算が使えるようになるんだ。余白がないと勉強も意味がない。だから、5年生の漢字練習をすることによって4年生の漢字が使えるようになるってことなんだよ。」
長男
「じゃあ意味のない勉強もある?」
くまおさん
「そりゃああるよ。むしろほとんどの事は日常生活では使わないかもしれない。でも、パパは算数がちょっと得意だけれどもそれは大学に行って算数の難しい勉強をしたからなんだ。今では、大学の頃の算数なんてすっかり忘れているし、絶対に解けないけれど、その無駄な余白があるから小学校の算数は簡単に解くことが出来るんだよ。大体の事は先の事を勉強する事で一歩手前の事が出来る様になるという仕組みなんだ。」
長男
「そうなんだ・・・。」
くまおさん
「学校の勉強なんて頭の体操みたいなもんだから、それ自体には意味のない事もとても多い。でも、算数と国語は基本的な体操だからやらなければならない。大人になってから脳ミソが動かなくなるからね。パパが子供の頃にはこんなこと誰も教えてくれなかった。パパも最近気が付いたんだよ。」

 

無駄な事にこそ価値があるという事が日常ではよくあります。先日銀座へ出かけて辺りを見回すとブランドショップの旗艦店だらけ。ヴィトンやらプラダやら・・・

日本で一番土地単価が高い場所には、機能としては必ずしも必要ない物を付与しているブランドが陣取っていました。機能性だけならユニクロやシマムラで十分だけれども、一見無駄に思える、機能性とは関係のないデザインなどに高額な価値がついています。これこそ無駄の美学だと思います。

絵画でも空白部分が重要だし、インテリアでも何も飾らない空間が大切です。

営業にもありますよ・・・沈黙のクロージング。決断を迫るときはただただ黙るんです・・・。先にしゃべりだした方が負けです。