スポーツは強制すると毒

なんでもそうですが・・・強制するのは良くない。くまおさんの次男は何でもかんでも「やりたい!」と言います。長男、3男は「別にいい・・・」と言うので対照的です。

スイミングをやったり、サッカーをやったり。

公文に入りたいと言い出した時には「?」と思いました。ギターにもチャレンジしましたね。しかし、全体的にあまり上達しません。

くまおさんはサッカーを長年嗜んで来たので、小学生くらいの「うまい下手」は見ていれば大体わかります。次男は「下手」。どうもどんくさいのです。でもくまおさんは特に指導はしません。基本的には見守るだけ。本人が教えてくれと言ってくるなら教えますが、押しかけ指導はお互いに不幸です。

最近ではスケボーを始め、スクールに通っています。かなり楽しいようで、スクールのない日にも公園やスケボーパークで遊んでいます。そしてついでに、くまおさんもスケボーを始めました。そこで、かなり意識が変わったというか・・・価値観がぐるっと変わったというか、とても面白い感覚を覚えました。

それがこれ。

「スポーツは楽しんでやるのが一番良い!」

当たり前のことだと思われるかもしれません。でもね、意外と世の中のスポーツ環境というのは違うんですよ。習い事上位と言えば、サッカー、スイミング、ピアノ、バレエといった感じでしょうか?どれもトップアスリートを目指す環境があり、そこに通わせる親も自分の子供があわよくば好成績を収めてくれないかと期待しています。親としても高い月謝を払うのだから、何か成果を期待してしまうのです。ですから、例えば上記習い事で、練習中に笑いながら取り組んでいたら多くの場合で「真面目にやりなさい」と注意を受けるはずです。

くまおさんは中学生時代に都内のサッカークラブチームに所属しプロ選手を目指してサッカーをしていました。なお、キャプテン。はっきり言ってあまり楽しくはなかったです。運動神経は良かったので、それなりの成績や活躍は出来るのですが、楽しさ100%ではありませんでした。ヘラヘラ笑いながら練習するという事は基本的にはありません。なぜなら皆トップアスリートを目指しているからです。くまおさんのスポーツに対する認識はここでかなり固定化されてしまっています。とは言え、そんな中にも本当にサッカーが大好きで、それがにじみ出ているような選手も居ます。彼らには絶対に勝てないと思いました。でも彼らも無条件に楽しいだけではなく、プレッシャーにさらされていたと思います。同じ環境に居たので分かります。

高校は緩い都立高校で弱小サッカーチームに所属しました。周りがあまり上手ではないので、好き放題出来る事は楽しかったのですが、レジャーとしてサッカーを捉える事はありませんでした。今思えば、このタイミングで全く違うスポーツに取り組んでいれば少しは違ったのかもしれませんが、なまじ得意であるサッカーに引っ張られて、くまおさんの青春時代のスポーツは幕を閉じました。

故に、「スポーツ=純粋に楽しい」という事を感じたことが無いまま大人になったわけです。くまおさんのお父さんもスポーツをガッツリやっていた経験があり、幼少期スポーツに対してはとても厳しかったです。それははっきり言ってモチベーションにとっては、悪影響でした。

オリンピックの格闘系競技者や卓球選手がやや苦手です。というのも、その陰に猛烈に厳しい「親」の存在が見え隠れするからです。彼らのインタビューを見ていると、その競技が好きであるという事よりも、使命感や義務、周囲の期待、それまでの犠牲が透けます。「親、監督、コーチ、仲間に感謝します」と必ず言いますよね?「私頑張りました!やったー!」という発言が自然に出てこないのがそれを証明していると思います。別に誰かの為ではなく、自分の為だけに一生懸命励んで、周りはそれを見て勝手に勇気づけられればいいと思います。アスリート本人が人々の期待を背負う必要はありません。ただ、それが力になることもあるでしょうから否定はしません。

それらを見ると、辛かったんだろうなぁと感じてしまうのです。それでも彼らは檜舞台に立って脚光を浴びる事が出来たのだから報われていると思います。しかし、その陰には報われなかった選手が沢山います。圧倒的多数が報われないのがトップアスリートの世界ではないでしょうか。

メダル取得後のTV出演で「次のメダルは?」みたいな事を聞かれているのが気の毒で仕方ありません。これは言い換えれば「また4年間競技以外の事はすべて捨てて、地獄の日々を過ごしますか?」という事ではないのでしょうか?くまおさんはうがった見方をしすぎなのかな?いやー大分きついと思いますよ。オリンピック4連覇とかする選手って・・・普通じゃないよ。

そんな中、くまおさんがスケボーを始めて、間もなく開催されたオリンピックは衝撃的でした。スケボー競技において上記の様なニオイを感じなかったのです。失敗しても笑って手を振っている選手や、ニコニコしている選手にびっくりしました。年齢層はフィギュアスケートによく似ていると思います。でも、フィギュアスケートのピリピリ感は存在しません。もしも、浅田真央選手がトリプルアクセルを失敗した後に、笑いながらグッドサインを出していたら、翌日のスポーツ紙はボロカスに書くでしょう。真剣にやっていないから転んだんだと。

でも、よく考えると、習い事をしている子供の99%はアスリートにはなりません。中学、高校で県大会を目指すレベルの子もマイノリティです。それなのになぜ私たち親は子供に期待を寄せてプレッシャーをかけてしまうのでしょうか?別にいいじゃない、遊びでやれば。だって、遊びなんだから。

運動神経の良い子、器用な子、頭の回転が良い子は小学校低学年くらいで、何かのスポーツに固定されます。上手にこなせる故に、周囲が期待し、そのスポーツから逃れられなくなります。それ以外のスポーツに触れる機会が削がれます。ただ、この感覚は多くの人はあまり分からないかもしれません。運動が苦手な人からすれば理解不能でしょう。得意だからこそ逃れられないプレッシャーがあるのです。くまおさんは運動神経が良かったので分かります。でも、当時は分かりませんでした。大人になって、よく考えて理解する事が出来る様になりました。

で、何が言いたいのかというと、楽しい事を楽しくやれるという事は素晴らしいし、親として子供にスポーツを強制させたくないし、それは悪影響だらけだとアラフォーになって再確認したのです。

そもそもくまおさんが見てきたサッカーアスリートの世界というのがとても狭くて、くまおさんにとっては窮屈だったという話。世界にはそれらから解放されている世界が存在していて、その世界でスポーツを行う事はとても楽しいという事が分かりました。

スケボーがアスリート競技化して、技術はどんどん上がって行くと思います。そして、何年後かにはスケボー版卓球の泣き虫愛ちゃんみたいな映像が流れるのかもしれません。でも、それって違うな~と、きっとその時に思うでしょう。

楽しそうにスケボースクールで滑っている次男を見て、新しい価値観に触れる事が出来て、自分もスケボーに乗ってみて、出来ないけれども楽しいという不思議な経験をしています。人生、まだまだ知らない事だらけですね。きっと「仕事」も同じような感覚になることが出来れば飛躍的に伸びるだろうなと思います。