作文(パクっていいよ♪)

作文はとても高度な宿題です。本来であれば小学生が取り組めるような難易度の宿題ではありません。大人でも大半の人は書くことが出来ないでしょう。

一方、大人の中には幾らでも、作文が書ける人がいます。作文に限らず、文章をいくらでも書ける人がいます。くまさんはその一人です。

作文というのは日常の何気ない一こまを切り取って、情緒的に描写するものです。うちのお父さんは、「感想を書けと言われても、何も思わないし、感想がない場合は何を書くんだ?嘘を書けってことか?これだから学校は・・・云々・・・。」などと言います。実際にそのように感じている人は多いでしょうし、くまおさんも20代後半まではそのように考えていました。しかし、それは間違っているという事に気が付きました。よくよく分解して考えてみると、本を読んで何も感じない、考えない事はあり得ません。何故なら文字を読んで想像して、頭を動かしているからです。では、なぜ何も感じていないと認識してしまうのか?それは、僅かな感情の動きを察知することが出来ない、そして、そのかすかな動きを日本語として表現する国語力が足りないからです。

国語力が足りないので、何も感じていないと認識してしまうのです。ですから、逆に言えば、それらの感情の揺れに自身で気が付くことが出来れば、作文というのは簡単に幾らでも書くことが出来ます。

このような事を学校の先生は教えてくれていたのでしょか?もしかしたら教えてくれていたのかもしれません。でも、全然覚えていません(笑)

長男中1の夏休みの宿題で「主張作文」なるものがありました。将来の夢やら、今思っていることや、地元愛についてなどが題材です。要は何でもいいという宿題です。そこで、くまおさんが幾つか作文を書いてみることにしました。

こんな感じ。

 「ぼくは、はいつも、ちょっと、ブルー」

1年A組〇番 くまおさん

学校の下駄箱には運動靴と退屈と窮屈が詰まっている。

ウチの下駄箱には子供靴とオーソドックスとオノノクスが詰まっていて、彼はこころづく。

「違うの。」

結局のところ、彼は僕の話を聞くつもりはなかった。いつから彼はこうなってしまったのだろうか?僕は溜息をつき、黙って追いかけた。

「今日は長靴にするって決めていたの。」

外は晴れていたが、彼にとってそれはどうでもいいことのようだった。

「あっ!」

彼には見えるらしい。

花粉の季節に咲き誇るヒナゲシの間に見えるらしい。

トイレの紙が三角に折られているのは、やつらの仕業だと、彼は教えてくれた。

コンソメポテトチップスの様な満月が空に登っていた。

「何度でも繰り返すんだよ、私たちは」

生暖かい布団の上で彼は横顔の僕を見た。

「何度でも?」

「そう何度でも。私が満足するまで貴方は続けるべきだわ」

「君はいつ満足するんだい?」

「さぁ?私にもわからないの」

僕はやれやれと絵本を開く。こびと大図鑑、今夜八回目の開店だ。

弟の名前は太郎という。これでまだ生まれてから8月5日で、ちょうど4年しか経っていないなんて信じられるかい?

そして僕は言われる。

もう、この台詞を言われるのは何度目だろう。僕があまり気にしていない事はわかっているだろうに。

「明日の準備、終わったの?」

僕の耳は、その台詞をまるで葉っぱの上の水滴のように転がして音符にし、そして今夜も音楽になってどこかに羽ばたいてゆく。

行き先は知らない。

「何を弾いているの?」

ビートルズという昔のバンドだと、ギターに目を落したまま父は言った。ノルウェイの森という曲らしい。

やっぱり僕は知らない。

ハイこんな感じ。

この作文を読むにはちょっと知識が必要です。ただ、国語の先生なら問題ないくらいの知識です。解説します。まず、全体の語り口を村上春樹風にしました。これは現代の英知であるTwitterで「子育て 村上春樹」と調べるとヒントが大量に出てきますので、足し合わせます。

作文の始まりは、ある日見ていたEテレの天才てれびくんで「学校の下駄箱には運動靴と退屈と窮屈が詰まっている。」と始まったドラマ回があり、そのままパクりました。

また、「コンソメポテトチップスの様な満月が空に登っていた。」は、長男が満月を見上げてふと言った言葉が印象的で覚えていたものです。

タイトルは村上つながりで村上龍の「限りなく透明に近いブルー」をオマージュしています。

そして村上春樹と言えば「ノルウェイの森」が有名です。そして同名のビートルズ「邦訳:ノルウェーの森:英語:Norwegian Wood」を掛けてあります。

国語の先生なら全部気が付くでしょう。きっと。多分このまま提出したら入選してしまうので気を付けてください。

こんなのもいかがでしょうか?

「贅沢フレッシュマンゴーパフェ」

1年A組〇番 くまおさん

 みんなの幸せな時間って何ですか?

 僕には好きな事がある。お父さんが「好きな事があると言うのはそれ自体が素晴らしい事だよ」と言ってくれた。

 漫画を読みながら、Amazonプライビデオでゾイドを流す。エアコンの効いた部屋でじゃがりこをかじるのは当然だ。

 僕の座る座椅子の周りには、お気に入りのプラモデルが勢ぞろいしていて惚れ惚れする。いつ見て最高にカッコいい。20体以上あるプラモデルを飾る為に、お父さんが壁に棚を付けてくれた。でも、プラモデルはリビングの座椅子の横に置いてあってこそ、最高なのだ。ローアングルから眺める壮観な景色は他の何ものにも代えがたい。

 そうめんを食べて、午後になったら塗装作業をする。ホームセンターでスプレー缶198円をお小遣いで購入した。

 どんな色がいいのか?どんな仲間がいるのか?どんな場所で暮らしているのか?想像するだけでワクワクする。

 生きている僕のプラモデルは生活の汚れや傷がつくはずだと想像する。だから、それらの跡を自らつけたり、汚したりする。これは墨入れとか、ウェザリングと言ったりする。

 塗装作業は得意ではないけれども、失敗してもそれがいい味になったりする。

 お父さんは漫画を読むなとは言わない。文字を読む習慣が付くなら何でもいいと言ってくれる。だから思う存分漫画を読みたい。

 今日も、とても幸せな一日だった。

こんな感じ。長男はゾイドが大好きです。その日常を彼の気持ちになって描写してみました。タイトルはとても大事なので、「幸せに感じる食べ物って何?」と質問したところ、上記の答えが返ってきたのでそのままタイトルにしました。

長男は若干中二病です。漆黒の翼・・・などと言っています(笑)そこで、こんな作文も作ってみました。

 「独立国家の作り方」

1年A組〇番 くまおさん

 どうして、僕は日本に生まれて日本に住んでいるのだろう?確かに日本はいい国だよ。外国なんて怖くて行きたくないさ。中国では自由に発言が出来ず、国家の悪口を言うと逮捕されると父から聞いた。それは勘弁してほしい。

でも、時々すごく落ち込むことがある。テストの成績が悪かったり、友達と喧嘩をしたり、スマホを親に取り上げられたり。

 そこで、僕は考えた。僕だけの国家を作れば自由にできるのではないか?コロナウイルスの影響で大人たちは文句ばかり言っている、ステイホームだの、給付金だの。休めと言われれば働きたいと言い、働けと言われるとブラック企業と言い出す。

給付金を沢山配るとその借金は将来僕たち子どもが払う事になるらしい。それも勘弁してほしい。

もし僕が国を作ったら、税金はゼロにしよう。勉強もしなくてよいし、学校にもゆかなくていい。部活が大変なら休んだってかまわない。僕に文句を言う奴はみんな捕まえてしまおう。そんな事を父に話したら、「それは中国共産党みたいだな。〇〇は中国を作りたいの?」と言われた。

あれ、僕は中国を作りたいのかな?怖かったはずでは?と不思議な感覚がした。

 「税金がゼロになったら警察官が居なくなるけど、誰が町を守ってくれるの?」と父が言った。それは困った問題だ。国を作ると言うのは結構大変なのだなと考えてしまった。

 でも、僕は独立国家設立を諦めていない。

もうね、題材なんてなんでもいいわけです。

なにが題材でも作文はいくらでも書けます。歯磨き粉が題材でも書けます。これらは大体5分もあれば書くことが出来ます。あまりにもゾイドが好きだというので、彼の空想を作文にしてみました。

 「平熱36.6度の世界」

1年A組〇番 くまおさん

 今日は2020年8月5日。夏休みの平凡な一日が始まるはずだった。

 朝起きると、僕のベットの目の前に体長約2mはあろうかとうラプトルが立ちはだかっていた。そうそう、ラプトルは金属生命体ゾイドの小型種で、性格は獰猛、群れで生活する習性を持っている。

 これはまずいと思い、ベットから飛び起きた。床に散らばるクルーガンに少しつまずいて、廊下に出るとそこは草原だった。

 草原の先にはグラキオサウルスが見える。体長20mは優に超えている。

 ここは一体どこなのだろうか?僕は退屈な夏休みの一日をスタートさせるはずだったのに。頭が混乱している。ふと見ると片手にはスプラシューターを持っている。これで戦えと言うのかい?馬鹿な事を言わないで欲しい。

 空を見上げるとスナイプテラの大群が空を飛んでいた。これは夢なのか、自分に何度も聞いてみるけれども答えが出ない。少し怖いけれども、この抑えきれないわくわく感をどうしたらよいのだろう。

 僕は虫が大嫌いだけれど、カマキリ型金属生命体のキルサイスは嫌いではない。目の前にキルサイスが3体いたので、試しに乗ってみる事にした。

 キルサイスはみるみると上空に上がり、ものすごい速さで、空気を切り裂き飛び始めた。初めは必至でしがみついて、振り落とされない様にしていたけれど、いつの間にそれも気にならなくなって、不思議な安心感が生まれた。

 キルサイスの背中から眼下に広がる大自然が見える。そういえば手に持っていたスプラシューターはどこかで落としてしまったようだ。

 目をつぶって空を飛び続けている。目を開けるとそこはいつものベットの上だった。

 今日は2020年8月5日。夏休みの平凡な一日が始まる

 棚の上のキルサイスの目がキラッと光った気がした。

ほらね。もう、何でもいいのです。タイトルは平穏な日々を表現してみました。

実際に彼が提出した作文のタイトルは「さみしい氷」。壊れて買い換えた冷蔵庫を題材に書いた作文です。・・・麦茶を注いだコップはひどく汗をかいていた。カランと音が鳴って氷が崩れる。少し寂しい音がした・・・」みたいな感じで締めました。どうよ、これ。文学っぽいでしょう。

書く内容や書き出しに困ったら、本棚にある適当な小説をめくってみましょう。そこに書いてある文章をそのまま書き写してしまえばそれっぽくなります。今回は綿矢りさの「蹴りたい背中」を参考にしました。

それは「パクリだ!」「ずるい!」見たいなことをいう人もいますが、世の中で全く新しいものは実は存在せず、ほとんど全ての発明品はパクリから生まれます。iPhoneだって、電話機とパソコンの掛け合わせですから、本来ならベルに「パクリだ~!」と言われちゃうわけです。でも誰もそんな事は言わないと思います。

子供がやってはいけないこと、でも大人はやらなければならない事。それはカンニングです。大人は周りをよく見てパクらなければなりません。パクるにはそれなりに教養が必要です。むやみやたらにパクってもうまくはゆきません。

でね、これって小学生や中学生がこなせる宿題ではないですよね?かなり難易度が高いと思います。国語を学んだ大学生にレポートを出しなさいというなら分かりますが、それを小学生に、しかも小学3年生とかで書かせるというのは無理があります。

くまおさんは夏休みん宿題なんていらないと思っている派です。1ヶ月ぐらい休んだって学力なんか落ちねーよ。舐めんじゃねーぞ(笑)