20代の社会人に人生相談されたので考えてみた
ある人との出会いがあった。とても良い出来事だった。そして、その彼から少し質問をされて、考えてみた。
その彼は、友人の部下。毎年BBQをしていて、友人がその部下を連れてきた。友人はそれなりの企業の所長であり、部下はいち営業マン。普通に考えたら、休日に上司のBBQに参加させられるなんてパワハラ以外の何物でもないので、「それは可哀想に。せめて会費は無償にしましょうね」とやり取りをしていた。
しかし、その彼はくまおさんの懸念を軽々とぶっ壊してきた。特別にコミュ力が高いわけでもない20代後半男性。ただ言葉の節々がややおかしい。色々とほじくりだすと、冬は週末にまき割りの仕事をしているという。そして夏場はメダカの飼育をしていて数千匹単位で自宅に水槽があるらしい。オオクワガタのブリードもしており、毎年7月には持て余して近所の子供にあげていると言い出した。
平日会社で働いて、その資金をメダカの飼育に費やしている。冬の週末はまき割をしているので休みが無いことになる。なお、まき割は家族の手伝いとかではなく、自分で興味があってそういう人と自発的に知り合ったらしい。
これは逸材だと思い、ロックオン。色々聞きだして夏に子供を連れてオオクワガタをもらいに行った。その後も、メダカをもらいに行ったり、BBQでメダカすくいのアトラクションを用意してもらう約束をした。
さて、彼がメダカの水槽をくまおさんの職場に持ってきてくれた。くまさんの職場は壁中に絵が描いてあって、ギターがぶら下がっており、男の子がワクワクする、おもちゃだらけのとても素敵な空間に仕上がっている。
その彼の友人で、デザインの知見がある20代の若者がいるらしい。その彼が、転職しようか悩んでいるとの事。くまおさんの職場を見て、今度のBBQに連れてくるので話をしてやってくれないか?と言われた。
現在の仕事でもデザインの知見を多少は発揮できるらしいが、ドンピシャではないと疑問を持っているらしい。
この手の相談は気を付けなければならない。はっきり言って「そんなのわからん。お前の人生なんだからお前が決めろ。それが正しい。」としか言いようがない。くまおさんも40を超えて大分説教臭くなってしまった。話し出したら止まらない自覚がある。本当に恥ずかしい限り。だから、もし話をするとしても、要点をまとめて伝えないとならないと考えた。そこで下記文章が出来上がったわけだが、まあ長い。そう、こうなっちゃうのよ。だから止めた方がいい。
40歳を過ぎて思った事がある。「人生の一通りの体験した気がする感」が出てきた。最も身近な大切な人が亡くなる、自分の体が動かなくなるあたりはまだ体験しきれていないが、仕事において、家族関係、友人関係、子供関係など日常で起こる事が、大体過去に経験したことがあるという状態になってきた。
仕事においても、発生する課題も大体過去体験がある事が多かったり、想像できる範囲の事が増えた。これは新しいステージに進めていない事の現れだったりもするので、自戒しなければならない。ただ、新規でお付き合いする会社とのやり取りや共同事業などの場合、必ず最初に通過する場所があって、その辺りの流れは大体想像できるし、大体その通りに進む。
さて、若者へのアドバイスを考えてみる。元も子もない話をすると、社長になるかフリーランスにならないと自分の仕事や、自分の人生をコントロールする事は極めて難しい。
まず断っておきたいのが、サラリーマンと社長において優劣はないと思っている。サラリーマンが社長に就くのは難しいように、社長がサラリーマンになる事も無理だと思う。
サラリーマンの延長に社長があるわけではなく、そもそもレールが違うので、どちらが偉いとか大変とか、比較はできない。
お寿司とカレーはどちらが美味しいかみたいな話。
サラリーマンを辞めると不安が多い。
一旦、人と関わる事が減るので孤独感や疎外感を感じで精神が病みかける。
自由だと思っていても、何もしない事も自由なので、逆に四六時中仕事が頭から離れなくなる。独立したばかりの頃はセールスがメインになる。セールスはやるならいくらでも時間をかけられるし、サボるならいくらでもサボれる。また、流れてくる作業ではないので、こなさなければならない課題もない。課題を自分で設定して、それに取り組み、大抵の場合で結果が出ない。
それを延々とやる事になる。
ただし、上記は慣れる。2-3年で日常になるのでさほど苦に感じなくなる。また、生活の経費は下がる。家族がいる場合は限定的だが、同僚が居なくなるためそれらの水準に合わせる必要が無い。
サラリーマンであれば、時計のランクが、靴はきれいに、ピシッとしたスーツ、ビジネス書、セミナー、昼食代、飲み会、お付き合い、他人が持っていて羨ましいと思った物を買ったり。
それらが大幅に減る。そもそも目に入らないので気にもならない。そして、既に気が付いていると思うけど、社会に出ると学生時代と価値観が逆転する。
今までは、集団の中の1位を目指すことが正しいとされていたけれども、そこには到底及ばない事を実感すす。1位ではなく、他と違う事、他と違うアイデアが求められる。
その際に、有利に働くのは「セールス」である。資本主義なのでお金との距離が近い人から順番に発言力がある。銀行、証券会社、商社あたりか。
会社で言うと顧客からお金をもらってくる営業の発言力が強いことが多い。セールスには2種類。
・ルートセールス
・新規開拓セールス
ルートセールスは比較的負荷が少ない。新規開拓セールスはかなり負荷が掛かる。負荷が掛かる割に、技術や情報はあまり蓄積されない。いつも新規営業なので深く仕事を理解する必要がないからだと思われる。イメージでは新規開拓セールスは5%程度ではないか。
誰でも採用される仕事なので、社会的地位はあまり高くない。みなやりたがらない。給料も一部を除いてあまり高いとは言えない。ただし、低くもない。ここで手に入る能力と考え方がある。
それは「営業は結局確率の問題」という事に気がつくこと。そして、その確率は世間が考えているよりもずっとずっと低いという事を体験し気が付く。
ほとんどの人は10件営業して1件も契約にならないとその仕事を辞める。しかし、新規開拓セールスは100件で1件契約という事を知っている。
そして、だから90件では仕事を辞めない。でも断られて辛いという経験は変わらない。そこで彼らは何をするのか?
平常心を保つための工夫を開始する。具体的に言うと「テンションを上げない」という事だ。営業ではワンオクターブ、ワンテンションあげて顧客対応するように指導される。確かに、その方が顧客のイメージは良い場合が多い。
しかし、無理をしていると精神が持たない。トップセールスは営業は確立だと知っている。
その為、確立に巡り合うまでは最低限のテンションで、顧客が不快に思わないギリギリのレベルで淡々こなす。これらの経験を「実体験」として有している人はかなり少ない。営業所長とか、支店長みたいな人はこれらの感覚を有している。
ただし、言語化が苦手な人が多いので、それらを「テクニックや技術、気合根性」で乗り切ったと思い違いをしている事が多い。その為、部下に対してテクニックや気合根性の営業指導をしてしまい部下が辞める。
なお、上記は頭で理解しても本当の理解にはならない。実体験として理解していないと、大体の場合で脱落する。この体感値を得るためだけに新規開拓セールスは必要。
次に、ライバルがいない土俵を常に探す必要がある。世間にはものすごく頭のいい人やものすごく優秀な人がごろごろいる。大体、500人に一人くらい40代前半で上場企業の執行役員になるレベルの人がいる。
その他、100人に一人くらいセールスのモンスターがいる。20人に一人くらい優秀な人がいる。そして、20人に一人くらい、本当にダメなやつが居る。
これら、大体確率。どんな組織でも大体同じ。その為、何をやっても自分よりも優秀な奴がいる確率が極めて高い。
ではどうしようか?
リミッター解除と集客が大事だ。まず、常識とは凡人が仲良く生きるためのルールであるというジョブズの言葉がわかりやすい。
どうしても常識がこびりついている。これらを強制解除する為の良い心掛けがある。それが下記だ。
「人々から顰蹙を買うようなアイデアはなんだろうか?」と常に考える事。
「あいつは大げさに話すから」「適当な事ばかり言って・・・」と成績の良い営業マンに対して裏で陰口をたたくという営業あるあるがある。なお、これも確率の話なのでどの会社でも必ず起こる事象。
では逆に聞くが「嘘ついても、悪いことしても何でもいいから売ってきてごらん?」として、売れますか?という事を考えたほうがいい。分かっていると思うが、嘘をつくだけでは売れない。それを真実だと思わせなければならない。それらの話術があるのか?嘘を真実だと言い続ける強靭な精神はあるか?もしくはそれを続けられることは、むしろ精神疾患かもしれない。
実際には無理だ。嘘をついても売れない。そういうものだ。嘘はバレる。だから常に顰蹙を買うようなアイデアばかり考えても、出てこな人が殆どだ。
常識人はそればかりずっと考えていて、やっと、ちょっとでてくるかなぁという程度しかアイデアは出てこない。だから、常に考えて、石から水を絞り出すかの如く考えてやっとちょろっとアイデアが出る程度だと考えて間違いない。
あなたは、邪悪にはなれない。だから顰蹙を買うアイデアを常に考えていても、問題はない。どうせ出てこないから。
次に集客。
お金に近い人の意見が強いという話をした。それすなわち売ってくる人だ。売る為には顧客が必要で、営業は確率の問題なので顧客が多ければ多いほど売れる。
トップセールスと平均的なセールスで契約率が倍違うという事はまれだ。せいぜい3割程度の差しかない。これもどんな組織でも一緒。
要するに、倍の集客が出来ればトップセールスになれる。
集客の手段はいくつかあるが、上記でも述べたように「継続できる」事が極めて重要。その為には、テンションを上げてはならない。営業電話でもDMでも広告でも何でも構わないが、私はインバウンド営業を勧めたい。
相手によっては媒体は異なる。例えば建築業の場合、相手に届きやすい媒体はFAXだ。10代の学生であればSNSだろう。そしてこれも基本的には確率の問題なので、アタック数が多い奴が勝つ。
ただし、それらは対面セールスよりも集客原稿による反応差が大きい。対面セールスは商材にもよるが、大体契約率は10%前後程度だろう。これもどんな製品でも大体同じ。
集荷客原稿は2%反応があったら大当たり。0%という事が頻発する。ただし、これも確率なのでどこかで当たる。しかし、コストの限界があり、多くの場合で確率の前にコストの限界で断念する事になる。
そこで集客原稿の精度を上げる「ライティング」が重要視される。
ライティングはダイレクトレスポンスマーケティングを推奨。書籍多数。ある一定レベルの到達するまでは、最低200以上の集客原稿を書いて、実際にテストしてトライ&エラーを経験しないと習得は出来ない。
正直、これを実施できる環境はかなり限られる。ゴリゴリの営業会社で且つFAXDMなどを自作している会社。展示会の営業会社などはそれにあたるのではないか?
そして、これはかなり効果的だが、アフィリエイトで5000円の報酬を得てみること。商品リサーチして、ウェブサイトを自分で構築して、キーワード選定をして、ライティングしてコンバージョンさせる。
なお、超難しい。おそらくWEBマーケティング会社勤務のマーケッターでもほとんど無理だと思う。普段偉そうに顧客に講釈を垂れているWEBマーケッターでも、裸で放り出したらほとんどがギブアップすると思う。
WEB上には他人の心理を操るライティングのプロがごろごろいる。どんな言葉が刺さるかよく分かっている。商品の選び方も、意図して負の解消を選ぶ。浮気調査や薄毛治療など。
人に相談できないけど強いコンプレックスがある項目を察知する能力がある。
育ちがいい人は性格も素直なので、他人の弱みに漬け込もうと言う概念をそもそも持っていない。相手から金をぶんどってやろうと言う考えが浮かぶことはない。先ほど伝えた「顰蹙を買うようなアイデア」の事だ。
この場合、育ちが良いことは不利に働く。顧客の姑息な心理が理解、想像できないことはマーケッターにとっては致命的だ。
営業が強い人は多くの場合で、ウェブやライティング、文章に弱い。
そして、ウェブに強い人は大抵リアル営業に弱い。
ライティングに強い人は営業に強い。ライティングは営業マンの思考を文字のおとす作業だからだ。でも営業が強い人でないと顧客に刺さるキーワードはわからない。
そして、ライティングと営業スキルを同時に有している人はほぼ居ない。
私が出会ってリアルで見たことがる人は、5人だけ。超希少種。
ただし、集客は営業現場ではあまり評価されない。ゴールを決めてくるストライカーが最も高い報酬を得る。それ故、ライティングと営業スキルが同時に存在する人材はあまり目立っていない。
また、これらの人は自身の営業力がやや足りない事を自覚しており、それらを補うためにライティングスキルを磨いている。その為、営業マンとしては一級品ではない事が多い。
他社との差別化をするためにはライバルの少ない土壌をさがす。最低限必要な能力は新規開拓営業のスキル。これは必須。
前段がが長くなってしまった。営業のスキルは必須という事だ。その上で掛け合わせるものを見つける。
それがライティングだったり、デザインだったり。
デザインに自信のある人が、デザイン事務所や工業デザイン、装飾関係などの職業に就くと埋もれる。そこには、その道の優秀な人が多すぎる。
ただし、新規開拓の営業スキルを有しているのであれば問題ない。営業スキルとデザインスキを同時に有している人材は希少種なので十分に戦える。
ただ、先ほど述べた様に、新規開拓営業スキルを有している人物は、営業マンの中でも5%程度しか存在しない希少種なので、その時点で割と何とかなるともいえる。
それほどの営業スキルが無い場合、弱い営業スキルと別の能力の掛け合わせで何とかなる場所を探す必要がある。
既に述べた様に、デザイン系の仕事はもっともNG。デザインとは関係のなない仕事が望ましい。
例えば、介護職に就いたとしよう。
デザイナーや元営業マンは少ないだろう。しかし、イベントはあるだろうし、周辺企業や入居者家族との営業的なやり取りはあるはずだ。
ここで、外注したレベルのお誕生日会が実行された場合どのような反応が起こるかを想像してみてほしい。
今私は、都立高校のPTA会長を拝命しているが、今度の文化祭において、ガチのマーケティングを実施しようと企画している。学校側との交渉や役員の説得には、プレゼンテーション資料をシッカリと準備して、説明を実施した。
学校から要望されていない資料も、勝手に制作して事前に提出した。想定している展示物はアイデアの段階でデモキットを作成して、見せた。
いずれもビジネスの現場では当たり前に実施されている事だが、それをPTAで実施する人は居ない。
サッカー日本代表で、W杯で日本人初得点を挙げた岡野という選手がいる。
かれは足技が下手だが、尋常じゃなく俊足だった。そこで強豪校には進学せず、それなりの学校で目立つことを優先した。
ただし、これには強靭な精神力が必要だ。
でもそれをもってしてもやりたいという思いが無いとそもそも無理だという事は付け加えておく。
介護職では実際には薄給で、仕事が多く時間が足りず、そんな事に時間をかけている余裕はないだろう。また、いちいち稟議書を待っていては物事が進まないので、自腹を切る事もあるはずだ。
自腹を切ってまで新しい事をしても「勝手な事をするな」「その費用は出ない」「余計な事をされて面倒」という反応が返ってくる。これも確率の問題で大体の組織で同じだ。必ず発生する。別にあなたの組織が腐っているわけではない。
ただ、我々は知っている。
そういう反応は必ず起こるという事を。たっだら、それらに備えればいい。
また、そういった事を達成した後に、あたらしい道が開かれる可能性が、まあまああるという事を知っている。
ちなみに、3回やって1回新しい道が開かれるなんて甘っちょろい考えは捨ててくれ。10回、20回やって1回位は新しい道が開けるかもしれないくらいに考えてくれ。
逆に言えば、10回、20回は批判や反対、資金の持ち出しが続く。
それは、分かっている話だし当たり前の話だ。そして、社会人の大半はそんな事は知っている。そう、実は知っている。なぜならチャレンジして敗れた人を見たことがあるからだ。
10回20回は失敗するとわかっていて取り組み始めることが出来るならば、その時点で大分ましだ。
これも分かっていると思うが、その覚悟が決まる日が受動的に来る事は無い。残念ながら、やる気が発生する事は無い。
達成したいならやり始めるしか手はない。そういうモノだ。
オリンピック選手を見て思うだろう。あれだけ頑張ってもメダリストは3人だけだ。それ以外をテレビは取り上げてくれない。
オリンピックに出場する時点で何千人、何万人の頂点だが、それでも99%以上はメダリストになれない。頑張った結果が出ない。
ただ、オリンピックと違い、幸いにして我々の敵はそこまで強敵ではない。相手は、練習しない。復習もしない。明日がプレゼンテーションでも声を出して風呂場で練習する奴は極めて少ない。
それはそうだ。なんとなく大学に入ってなんとなく就職した人が、社会人になっていきなり覚醒するわけはない。これも確率の問題で、会社や学校が幾ら教育してもその比率は変わらない。
これは、ありがたいことだ。
ただし、言っておきたい。
そこまで自分から負荷をかけて頑張り続けることが出来る時点で希少種。そんな奴は滅多にいない。そうなりたい明確な理由や目標が無いと無理。
これはあくまでも私が体験したストーリーにすぎない。だから皆に適用は出来ない。もっと他にも道はあるはずだ。ただ、いずれの道も何かしらの負荷はかかるはず。40年生きてきたが、抜け道は無さそう。
そこに抜け道があるとすると色々と辻褄が合わない。他の道を、それぞれ探してみてほしい。
注意点もある。ほとんどの人は探している間に人生が終わる。分からないけど多分終わる。荷物がどんどん増えて不安に打ち勝てなくなる。
成功者と言われている人、楽しそうに生きている人はその不安を感じる神経がおかしい場合が多い。そいつらと戦うのは無理だ。
彼彼女らは、負ける事で受ける傷が小さい。常人の様な繊細な感覚は持っていない。だから平気で何度もチャレンジする。
そいつらと戦わない方法は常に考えないとならない。真正面からぶつかってはダメだ。あいつらはいかれてるのだから。
だから凡人は考える事を辞めてはいけない。その時点で負ける。幸せは自分が決める。それでいい。問題ない。
人にもよると思うが、中年で幸福度が下がるころ合いがある気がする。
私は30代全般がそうだった気がする。私は会社を辞めたのが35歳の頃で、その前の数年間はいつ辞めようか常に考えていた。
25歳で結婚して、子供も生まれて、家も買って上場企業に勤めて高層ビルの本社に通う。出張では飛行機で日本全国を渡り歩いてセミナーで講師を務める。絵にかいたようなサラリーマン生活を送っていたにもかかわらず。生活は出来る給料だった。でも、同年代のもっと稼げる仕事がある事は知っていて焦っていた。
まだ何者にも慣れていない自分に焦りがあって、自分はもっとできるはずという思いもあって。私の場合、それが逆転し始めたのが、40代になってきてから。
友人知人が各会社で偉くなったり、自分の今までの経験を必要とされたりし始める。
企業内で出世した友人に嫉妬心もありつつ、その彼ら彼女らが人生で踏ん張ってきて地位を獲得したことが想像できるようになる。
踏ん張って頑張ったんだろうなぁ。おれは大企業を我慢できなくて辞めた側だから、すごいなぁと思う。本当に思う。
「あいつは運が良かった」みたいな事は思わなくなる。
ただ、業界が上向きだったとか、私もあの業界に居れば違ったかななどとは考える。気持ちに多少余裕が出てきて、私生活の充実に時間をかける気持ちが沸く。
自分よりも年下で圧倒的に結果を残す人たちに身近で出会ったり、メディアで見かけたりして、少し身の程をわきまえるようになる。まだあきらめたわけでは無いけれど、それはそれ、俺は俺と切り分けて考えられるようになる。そうなると日常で出会う人をよく観察するようになる。それらの人々に興味がわき色々と聞くようになる。今まではあまり気にしていないタイプの人でも、面白い背景を持っている人がいる事に気が付く。
いままで無い物ねだりをしていた。すごい人や何かを既に持っている人と関わる必要があると考えていた。でも、そんな事は無くて、一見普通の人でもその人が何十年もかけてきた人格や趣味はとても面白い物だったりすることがわかった。
とは言っても、全く面白くない人も多いしそれが大半だったりもする。
子供が生まれてくると年々友人たちと疎遠になる。友人から自発的に連絡が来る事は基本ゼロになる。幸いにしてBBQを毎年実施している事が功を奏し、連絡を取る口実がある。
友人たちも連絡をすると快く応じてくれる。みんな「相手は忙しかも」「おぼえてないかもしれない」「こんなことで電話していいのかな?」などと考えている。
でも、分かったことがある。友人たちは連絡をもらう事を迷惑がらない。むしろ喜んでいる。
じゃあ、なぜこちらばかり連絡して、相手は電話をしてこないのか?などと考えるかもしれない。不公平だなどと思うかもしれない。
そんなものだ。多くの人は自分から行動を起こさない。それは仕事に限らず友人関係でも同じだ。知ってるよね?と言うか、多分あなたも動かないよね?会社の新しい企画に手を挙げる同僚はいるだろうか?今の仕事で手一杯、増える仕事分の給料はもらってないからやるわけないでしょと思っているのではないか?
私もサラリーマン時代はそうだったから、よくわかる。
例えば友人と日曜日に釣りに出かけたい場合、まず友人の予定を確認する必要がある。予算も考えなければならい。それ故、同じような所得水準の友人を選別する必要があるだろう。その時点で既にプチストレスだ。
断られたらいやだなと思いながら誘う。予定がなかなか合わないのが普通だ。
そこで、相手から日時逆提案があればよいが、基本的にはない。だからあなたが気を使って日程を再提案する必要がある。そうすると、「あいつは行きたくないのかな?むりやりさそってしまっているのかな?」と自分の行動に疑心暗鬼になる。
でも、別にそんな事は相手は思っていない。ただ、気が利かないだけだ。そうだよ、あいつは元々気の利くやつではなかったはずだ。大人になったから気が利くようになどならない。人は昔の延長線上で人格が形成されている。
言い換えれば、気を使わなくてよい友人関係だという事だ。悪い事ではない。
予定が決まったとして、次は奥さんや子供に次の日曜日に自宅を空ける事を伝える必要がある。奥さんは別に文句は言わないだろう。しかし、やや面倒な空気を出す。
これらを乗り越えてやっと当日を迎える。その日はとても楽しいはずだ。奥さんのご機嫌取りの為に帰り道にケーキでも買って帰る。別に奥さんは何も言わない。何も問題はない。
さて、既婚者が友人と休日に釣りに行くというのはこれだけの心理ハードルがある。それを積極的にやろうと思う人が一体どれだけいるのか?結論としてはほぼ居ない。
だから、友人との関係を断ちたくない人は積極的に自分から声掛けしないとならない。そうしないと友人とは疎遠になる。友人側も同じだ。ただ、誘われれば配偶者に言い訳をしやすい。
可能ならばその奥さんも巻き込んでしまう事が望ましい。ただ、そこまでコミュ力が高いならこんな課題は持っていないね。
今20代の諸君はこれから、友人がどんどん減ってゆく。同じ価値観の友人は残念ながらキープできない。仕事仲間や同僚、先輩後輩と飲み交わす酒が増える。そこに価値を見出せないと悲惨な30代がやってくる。
仕事の役割は給料に先行して増える。給料はなかなか上がらない。というか今後も上がらない事に気が付くのが30代だ。いざ転職しようと思っても、自分に特殊なスキルが無いことに気が付き絶望するのも30代だと思う。その上、友人とも疎遠になり遊べなくなる。それが30代だ。
奥さんの容姿が衰えだすのも30代だ。ずっときれいな人もいるが稀だ。それ自体は当たり前のことだし、自分自身も容姿は劣化している。問題は、女性は男性よりも敏感であるということだ。
あなたは何も思っていないとしても、奥さんは自分の衰えに敏感で、それを不満に思っている。そしてそれを雰囲気や日常の行動で示してくる。滲みでてくるといった方が正しいかもしれない。
男性諸君からすると知らんがなという話だが、女性にとっては大問題だ。
雑誌には綺麗な30代や40代が登場する。到底それらには追い付けない事を分かっている。でも比較してしまう。あれらは例外中の例外なのだ。エビちゃんはもはや人類ではないのかもしれない。
じゃあ、雑誌なんか見るなよ、インスタやめとけよと思うのだが、そんな事は受け入れられない。奥さんの機嫌は20代の頃よりは大体悪い。
女性の憂鬱は男性よりも少し前に始まるかもしれない。
ただね、そういう事が起こっても私は40代で大分気持ちが楽になったし、人生が楽しくなった。第2の青春時代を迎えたイメージを持っている。
これは人によるかもしれない。30代の早い時期に抜ける人もいると思う。40代でも抜けきれない人も多いだろう。何も考えずに50代を迎える人も多い。
酒どたばことパチンコさえあれば俺は満足という人も実に多い。やりたい事なんてない、夢なんておしつけるなと思っている人も多い。というか大半だろう。
そういった事が起こると事前に知っていれば幾分気持ちは楽かもしれない。
結局人生の答え合わせは死ぬ間際まで分からないと思う。
人生を豪快に生きて贅沢の限りを尽くしたとして、晩年になって脱税で起訴されるといった人生と、不満を抱えながら常に生きてきたけれど、家族に看取られながら死ぬ人生とどちらが望ましいのかは分からない。人それぞれだ。望ましくは豪快に生きて、皆に愛されて死にたい。そう言う人もたくさんいる。いずれにしても最後の終わり方はとても重要な気がしている。
先にも触れたが、いま、長男の都立高校のPTA会長をしている。大した役職でもないので、こなすこと自体はなんてことはない。人前で話すことも得意だし、文章も書ける。はっきり言って余裕だ。これで忙しい、大変などと言っている奴はただの能力不足だろう。別に大変ではない。
ただ、あまり面白くない。そこで、子供たちに交じって文化祭でPTAブースが本気を出す事にした。その為に、事前にプレゼン資料を作って、意味の無いことに全力を出したいとその他役員に説明をした。役員のみんな、面白がって賛同してくれた。
ちなみに、例年実績の4倍の販売目標を設定した。倍だと頑張れば何となくできそう、10倍では現実味がない。3-4倍くらいだと、今までのままでは絶対に達成できないのでブレイクスルーが必要になる。そういった数字を意図的に設定した。
実現には学校の協力や、許可、倫理的な問題等、学校側とすり合わせないとならない面倒な事項がいくつかあった。そこで、普段使っているビジネススキルを用いて説明資料、デモキット、イメージ図、リスク管理等を提示して、学校から許可をとった。正直なところ、プレゼン経験のある営業系の人でないとこの交渉は無理だろう。私は交渉は割と得意だ。
PTA役員の人がとてもうれしい事を言ってくれた。
例年であれば文化祭準備で集まる事は無いが、今年は準備が必要な為集まってもらった。3時間程度趣旨を説明したり、資料を作ったりしているときだった。
みんな、一緒に作業している人の事を仲間だと認識し始めた。お互いの職業等が気になり互いに話はじめて、お互いを理解しようとした。各々の仕事内容を聞いて、否定する人は誰もいない。素直に感心していて「すごいですね~」「さすがですね~」と言い合っている。良い雰囲気だ。
元ヤン気質の役員の一人がこんな話をし始めた。
「私、PTA役員とか絶対にやりたくなかったんですよ。小っちゃい子もいるし参加出来ないと思って。そしたら電話かかってきちゃって、出ちゃったんですよね。何もできないし、本当に何もしなくていいですかって確認して会計を引き受けたんです。イメージでは重たい雰囲気がある感じだった。
だから、私もハンコを押しに来るだけだと思ってて、忙しくないですよねって散何度も確認したんですよ。
でも、いまこんなことやってて(笑)すごく面白くて。まさか、こんな感じになると思ってなかった。」
男性の役員が
「いや~なんか売れそうな気がしてきましたね。私は今年の役員だったという事を自慢できると思います。」
他の女性役員も
「これ、本当に売れたらうれしくて泣いちゃうかもしれませんね」
皆さんにとっても私にとっても、成り行きで引き受けただけの何の価値もないと思っていたPTA活動に意味が生まれた瞬間だと思った。文化祭で本気を出したところで、金銭的価値はほぼないし、それを誰が見てくれているわけでもない。得るものは特にないとわかったうえで、面白がってやってみたら、少し不思議な空間と人間関係が出来上がった。
私自身は、そうなる事はなんとなく予想はしていたけれども、事実として人の心や考え方に影響を及ぼせたならば、とてもいい経験だし、うれしいなと思った。
こういった事も、リミッター解除を上手に出来るかどうかが大事だと思う。PTAには基本、全てに前例がある。だから前例を踏襲しがちだ。でも、私の場合、事前に予算全体をなんとなく頭に入れる事が功を奏した。それによって、全体の成立ちとか、望まれている事とか、やっていい事、ダメな事が概ね想定できた。これは40歳を超えて大体の事体験した感が大いに役立った。そして今までのサラリーマン生活が役に立った。概ね企業の予算と仕組みは同じだった。
そして実際にいくつかテスト的に学校側に投げかけて得た反応は概ね想定通りだった。これもやはり確率の問題で、組織というのは、大体同じ仕組みで運営されている。学校も例外ではなかった。
そうなってくれば、一般的なビジネスと考え方は同じだ。誰が顧客で、製品やサービスはな何で、収入減や支出を把握して、制限や条件は何なのか。
顧客がわかれば集客は可能だし、競合やライバルがわかれば差別化のアイデアは自然と生まれる。分かりやすいのが、PTAには競合は居ないという事だ。集客は極めて有利。ごく簡単なビジネス環境だ。そこで「学校」というリミッターを外すことが出来た。
あとはトライ&エラーしかない。別にそんなことしなくても全然かまわない。する必要はない。
40歳を超えだすと、必要な事や儲かる事は勝手に誰かがやるし、自分よりも数段優秀な人がいる事に気が付く。そしてレベルが上がると料金も上がる事を知っている。その辺りは、社会では上手にバランスが取れていて、不均衡があれば頭のいい奴らが真っ先にその隙間を埋めて現金化してしまう。それらの人々と戦うほど自分は頭の回転が速くない。
そうなると、人が本気にならない場所や誰もいない場所、意味のない事にチャレンジしてみようかなと思う事がある。そこで何が起こるかは想像できないし、どちらかと言えば特に何も起こらない事が多いことも分かっている。でも少しくらい意味の無いことをやってもいいかなと思ったりする。本当に自分の為だけに生きるのであれば結婚なんてしないで、好きな事や仕事や趣味でも恋愛でも没頭すればいい。でも自分のこと以外で得られる満足度は、自分にとってかなり大きな影響やうれしさを与えるという事を知った。子供がいる人は分かると思うが、自分が仕事で評価されるよりも、子供が展覧会に選ばれる方がはるかに嬉しかったりする。これは20代では分からない感覚かもしれない。
自己啓発本や政治家は「他人を喜ばせる事が自分の喜び」みたいな事を言う。絶対に嘘だと思っていたが、どうやら心理学的にも他人に幸福感を与える行いをした方が、自身の幸福を追求するよりも幸福度が高いらしいという事に40代にくらいで本格的に気が付きだす。30代でもそういうモノだという事を学問的には知っていたが、あまり肌感覚を得ていないかった。でも40代くらいでその意味を体感するようになる。
ディズニーランドでは本人が楽しいことが絶対だと思って疑っていなかった。20代で子供が生まれて、子供がミッキーを喜んで見つめている姿を見て、ディズニーランドの違う側面に気が付いた。大切な人が喜んでいる姿は自分にとって栄養になる事を理解した。
答えはない。死ぬま直前までわからない。そんなものだろう。