発達障害?

最近、周囲が騒がしく胃が痛いです。
くまおさんは比較的頭の回転が速い方なのですが、周りの感覚が理解できない事が多々あります。くまおさん的には「どうでもいい」と感じることが、周囲の人にとってはとても重要な事だったりすることがあり、くまおさんにはその感覚が理解できません。

どれくらい前でしょうか?かれこれ7~8年くらい前に一緒に仕事をしていた人の仕事に関するミスやその他言動が、不注意という言葉だけでは片づけられないと思い、色々と調べた際に「大人の発達障害」というものの存在を知りました。
それらの現象に当てはめてみるとしっくりくることが多く、いままでくまおさんが感じていた「人は育たない、育つ奴は勝手に育つ」という考え方を証明してくれるような気がしました。

そんなこんなで仕事をしていると、程度差はあるものの大体5%くらいの確率でそれっぽい人が存在する事に気が付きました。厳密には発達障害と診断されるまでの症状ではないのかもしれませんが、その気がある人の割合はくまおさんの仕事環境だと大体5%くらいで出現します。

ちなみに、ビジネスで成功する人はおそらく大体のケースでなにかしらの「発達障害」だと思います。人の意見に左右されない鈍感さが必要だからです。テスラモーターズのイーロンマスクは着替えが出来ないそうです。着替えている間に次の事を思いついて行動に移したくなってしまうとの事。彼は稀代の企業家であり、映画アイアンマンのモデルです。

そういった人は取引先に居るケースもあり、それによって被害を被ったこともある為、以後その担当者とは仕事をしない旨を先方会社の社長に伝え出入り禁止にしました。とても懇意にしている社長ですが、その際は「お宅の社員は多分発達障害なので彼とは仕事をしません。」と面と向かって言いました。こういう所はくまおさんはかなりキツいです。その社長とはいまでも懇意にしています。

ビジネスでは遠慮しているとお互いに不利益を被ります。特に弊社の様な小さな会社の場合、ミスを吸収できるバッファーが小さいので大企業ほど我慢できません。

そういった仕事環境の中で最近思うことがあります。
もしかしてくまおさんも「発達障害」の気があるのではないかな?という事です。診断されるレベルではないかもしれませんし、簡易テストでは当てはまらないのですが、おそらくその気があると最近感じています。

くまおさんは現在お父さんと一緒に仕事をしていますが、多分お父さんにも大人の発達障害の気があります。一時記憶が弱く、片づけられない、空気が読めないという現象があります。社会生活をする上で難があるほどではないので、本人も無自覚ですし、誰もそのことを疑っていないと思うのですが、3年間もずっど一緒にいると気が付くことも多いです。長い間、社長なので組織で働くという事には適用できないと思います。性格的にも能力的にもです。

これによって何冊か発達障害やアスペルガー症候群等の書籍に目を通しました。

そして、くまおさんの父方のいとこはADDの診断が下っています。
ですから、父方の血でそういった現象があるのかもしれません。

くまおさんの場合、昔から興味のない事に対しての真剣度が極めて低く、一方で興味のあることは時間を忘れて没頭します。学校の先生から「くまおさんは興味のある事に対してはとても高い集中力を発揮するものの、必要でないと判断すると何もしない」と注意されました。でも、上記の様な指摘を受けた際に「それが何故ダメなのか」という事は理解できなかったですし、いまだに理解できません。そして、それがダメな理由を明確に説明してくれる先生にも、ついぞ出会えませんでした。

これらは協調性という言葉で括られることが多いのですが、社会に出てからは協調性という能力が必要とされる事はあまり多くないと感じており、むしろパフォーマンスを落とす元凶ではないかと思っています。ちなみに、営業マンにとってという意味です。

くまおさんが集中力を発揮するのは、例えば絵を描いたり、設計をしてみたり、工作したりといった事です。幸いにして、学業成績が良かったこともあり、学校でこれらの偏りが問題になったことはありませんでした。そして、社会に出てからはむしろ強みとなって表れている為、会社内では概ね成績上位クラスに常にエントリーできていました。

幼少期からこれらの事に関して、生きにくさを感じてきたので、よく「なんでダメなの?」と質問したり、自問自答してきました。その結果ダメな理由が特に説明できず、くまおさんは理論武装することになります。故に、「協調性」という言葉を盾にくまおさんに戦いを挑んでくる人はコテンパンにやられます。そして多くの場合でこういった言葉を残します。

「くまおさんの言う事は正しいけれど、正しければいいってもんじゃない!」

まあ、それはそうだと思うのですが、正しくないよりは正しい方がまだマシだし、答えも出さずにウロチョロしているよりはよっぽどいいと思います。じゃあ、「正しければいいってもんじゃない!」というのを別の形で証明してほしいのですが、だれもその代案は出してくれません。じゃあ、どうしたらいいのさ?と、ここでも「生きにくさ」を感じます。くまおさんはベストの案ばかり言って実現性がないよりは、ベター案で実現性の高い方が優位だと判断しています。

これは不思議なもので、学生の頃は「苦手科目の強化」に重点が置かれるのが日本国の教育方針ですが、社会に出ると「得意科目の強化」の方が価値が高い場合が多いです。
苦手科目はそれが得意な人に任せるという分業が可能ですし、得意科目を強化した方が類似性を排除できるので所得も上がりやすいと言えます。要するに「レア」な人材になれるわけです。
ところが、学校教育の場合平均点を取ることが望ましいとされており、平均点を取る事を最低条件にして、そこから上の限られた範囲内で競争する事を強要されます。

今の教育方針は戦後に大枠が定まっており、その時代は工場労働者が必要とされていました。その為に、一定水準の教養を身に付けた人材が大量に必要だったわけです。ところが、時代が変わって工場での仕事は減る一方であり、それに拘ると世界の労働者と競争させられることになりたちまち低賃金になってしまいます。

社会に出ると、まったく別のルートから参戦して簡単に仕事をさらってゆくという現象がまま起こります。日本人ならば暗黙の了解がある事象に関しても、外国人にはお構いなしです。それを見たときに「ずるい」と感じるのか、「なるほど、その手があったか!」と感じるのか。人それぞれですが、「ずるい」と感じてしまう人はビジネスのセンスはないといえます。ビジネスの世界では多くの場合で勝てば官軍負ければ賊軍です。

これは良いか悪いかは別にして、科学の世界でも同じです。最近中国人が猿のクローンを誕生させたそうです。俗にいう西側諸国は人間に近いとされる霊長類のクローンは倫理的な観点からタブー視されています。しかし、倫理観の低い?中国ではそれらをやってのけてしまうわけです。結果として、クローン技術では中国が抜きん出る可能性が高くなります。こういった事は様々なところで起こっています。
世界がフラット化してきた現代では、暗黙の了解に期待する方がマイノリティです。

くまおさんは、「仕事において自分は結構面倒臭い奴」だと思っています。ある程度先回りして対策しますし、それを相手や上司、部下にも同様に求めます。普段の生活でもそれが出てしまう事があり、相手は面倒臭いのだろうな~と感じることもよくあります。
ところが最近思っていることがあります。「くまおさんよりもむしろ周りの奴の方がめんどくさくないか?」という事です。くまおさんは人間関係で特に拗ねたりしません。義理の父母との関係も、特に問題はありません。何故なら、別に細かいことが気にならないからです。「あの時あー言った。」とか「本当はああしてほしかった。」とか、「やっぱりこっちがいい」という事は言いません。人間関係においてベストな選択が毎回できるはずもなく、ベターな選択で十分だと思っています。だから、多少の行き違いはハンドルの遊びと同じでです。

ですからそういった事で間に挟まれると、たちまち理解できなくなります。何人かの相手の機嫌を取りながら間を取り持たなければならないと言う事はとても負荷がかかります。くまおさんは、間を取り持ってもらわなければならい程人間関係を拗らせたことはないと思うのですが・・・自分では分かりません。

これらの人間関係も時限的な問題で、一旦収まっても、一定時間が経過すると必ず再発します。くまおさんは「あーまたか・・・」と思ってしまい、その態度を示すと問題が更に大きくなります。くまおさんはこういった際に「なんで、多くの人はそんなにどうでもいい事にこだわるのだろうか?」と不思議でなりません。デジャブなので本当に勘弁してほしいし、出来れば当事者同士で解決してほしいです。当事者同士で解決できないのであれば、そもそも無責任に揉めないで欲しいし、そういった間柄なのだから、理解しあえないと認識して、ベターの策を各々探ってほしいのです。

くまおさんはよく考えます。そして人にも言います。

「その問題は自分の船で起こっている事なのか?それとも他の船で起こっている事なのか?」

他の船で起こっている事に対して、あーだこーだ言う人が多すぎます。他の船には他の船長がおり、こちらの船からコントロールする事は出来ません。それが出来る様に圧力をかける事はそもそも無意味だし、他の船の事に使う労力があるならば自分の船を漕いでほしいと思います。

仕事に関しても同じです。くまおさんはかなり細かく厳しいです。何故なら、小さい発言によって売り上げが変わったり、利益が変動したりすることは日常茶飯事だからです。その為、避けられるリスクは極力避ける必要がありますし、不用意なミスに対してはとても怒ります。どうしてもミスが無くならない場合は、仕組み自体を変更する事も厭いません。個人の能力に頼った仕事はとても不安定なので、誰でも理解できるレベル、もしくは理解しないでも実行できるくらいまで仕事を分解します。工場では当たり前のベルトコンベア作業を営業の現場にも持ち込んでいます。

故に、仕事に関して「上から目線」と言われる事が極稀にあります。ちなみに、極稀にです。ほとんどの場合では言われません。

これを言われた際にくまおさんは戸惑います。「だって、事実上、上なんだから仕方なくね?」と思っているからです。ここで例の「くまおさんのいう事は正しいけれど、正しければいいってもんじゃない。」というアバウトな反論をされるわけです。「じゃあどうするの?」と反対質問をすると対案がなく、キレたり、拗ねられたりします。対案がないなら言わないで欲しいし、無責任に反論しないで欲しいわけです。くまおさんは色々と考えて発言しているわけであって、それを「なんとなく」という理由で反論するのはルール違反だと思っているます。くまおさんがいとも簡単に問題を解決しているように見えることは、色々と考えたうえで、その結晶が最短ルートに表れているだけです。

このブログは個人的な思いを書記している備忘録です。