思考の放棄はずるいと思う話

考える事を早々に辞める人って沢山いますよね?これ、本当にずるいと思います。考える事が苦手で・・・とか、頭が痛くなっちゃう♪とか、バカだからわかんなーい!とかそういう事ではありません。それはズルです。ズルの認識がない分、たちが悪いです。

そういった人々に、放課後の掃除がめんどくさいので帰ります♪とか、合唱祭の練習は歌が苦手なので参加しません!といったら烈火のごとく怒ると思います。何か違うのでしょうか?

合唱が苦手なので合唱祭の練習に参加しない事はみんなから白い目で見られますが、絵が苦手で真面目に書かない事は何故か不問です。美術の先生がかわいそうではないでしょうか。合唱が嫌いなのは「仕方がない」とはならず、絵が下手で書きたくないのは「仕方がない」と認められる、これは本当に謎です。

なお、くまおさんは歌は人並み以上にうまいと思います。音程を取る耳もいいです。バンドのボーカルなので。でも合唱が大嫌いです。いうなれば、誇張でも何でもなくゴキブリを見るかのごとく嫌いです。斜に構えているわけではなく、本当に嫌いなのです。数十人で同じ曲を同じ方向を向いて歌うというのが、どうしても嫌なのです。邪魔はしないので、歌うことを強制するのは勘弁してほしいと交渉しましたが無理だったので、練習に参加することをやめました。基本練習に行かないものだから、たまに参加すると褒められる。おかしな話です。同じ事でもギャップや見せ方で評価が変わるのだなと学んだ中1~高2です。

幼稚園でみんなで踊らされるお遊戯が嫌でたまりませんでした。毎週定期的にやってくる「棒体操」なる時間が憂鬱でした。歌に合わせて棒を持って踊らされるのです。でも、親や先生は子供はみんなお遊戯やお歌が大~好きと思い込んでいます。

そして、くまおさんは絵が上手です。高校時代に美術の先生に「くまおさんはどこの美大を受けるの?」と聞かれたことがあります。ですから、世間の合唱贔屓が堪らなく嫌で理解できませんでした。

余談ですが、高3当時の学級委員に「くまおさん、歌うの嫌いだよね?だったら指揮者やってよ!」とみんなの前で言われ、嵌められました。でも、指揮者は結構楽しかったです。クラスメートからも好評でした。元来器用なので大体の事はできます。なお、得意なことと好きなことは必ずしも一致しません。

そうか、くまおさんは「みんなで歌う」というのが嫌いだったんだなと認識しました。くまおさんを嵌めた学級委員は、その後学習塾の経営者になり、先日も長男の事を相談したりした仲です。

ずいぶん横道にそれましたが本題に戻ります。

これはもしかしたら、比較的思考明晰で頭の回転が速いと言われている人側からの偏った意見かも知れません。しかし、同じように考えている人はかなり多いと思いますので、鬱憤晴らしに記事を書きます。

でもな~そもそも、思考放棄する人はこんな記事読まないよな~そういう人に読んでもらいたいんだけどな~。社会的弱者向けの法律や条例を作っても、その彼らは、法律や条例まで届かない、気が付かないんだよな~というジレンマに似ています。

特定商取引法が改正されても、訪問販売で騙されてしまう高齢者は、その法律を知らないし、知る機会もないのでやっぱり騙されてしまいます。必要な人に法律が届かないジレンマです。

さて、くまおさんはお父さんと仕事をしているのですが、ディスりでも何でもなく、事実として、お父さんは思考がとても浅いです。思考階層が2層を超えると自動的に門が締まり、当たり前のように先を考えないで発言します。地場企業オーナーに多いタイプです。地方の工業高校出身、短気なべらんめえ口調おやじです。

例えばワイドナショーを見て、政治家が悪さをしたという報道があると「あんな奴は全員逮捕だ~」とすぐに言い出すし、飲酒運転が問題になってもすぐに逮捕しろと言います。芸能人が「大麻で逮捕」みたいな事があると、ヤバいって分かってるのに何でやめないんだと、孫に嫌われているタバコを辞められない自分を棚に上げて発言します。太田光の裏口入学報道で、週刊新潮側が情報源を秘匿していると報道されれば、強制的に情報源を明かさなければいけない事にすればいいと大声で騒いでいます。

逮捕するorしないの判断基準はだれが決めるのか?法治国家の日本ではその制定の為に、どれだけの労力が必要なのか。飲酒運転全員逮捕して刑務所に入れてたら刑務所が溢れる、情報源が明かされると分かれば誰もリークしないなどの背後にある事象を全く考えずに、反射神経で発言してしまいます。何故なら思考が1階層しかないからです。

その為、ワイドショーの切り抜き報道に何度も騙されているにもかかわらず、相変わらず数分のワイドショー情報をすべて信じて怒っています。

さて、そんなお父さんですが、すぐに思考を放棄する癖があります。何かわからない事があると、自分で考えずにくまおさんに聞いてきます。くまおさんは、「わからない事はGoogle先生にまず聞きなさい。」と伝えるのですが、「Googleの検索窓になんと打つのかわからない、聞いた方が早い」と悪びれずに言います。罪悪感は全くないそうです。何故なら、思考が1階層なので、その背後にあるくまおさんの負担を想像する事が無いからです。なお、1階層目は「自分がわからない」です。これも思考の浅さが、放棄が関係しています。

例えば会社で新しくしたリコーのコピー機の不具合が起こったりします。その際にくまおさんに聞いてきます。当然くまおさんはリコージャパンじゃないので解決方法は分かりません。コピー機にはコールセンターの電話番号が書いてあるので、電話して自分で聞けば問題は解決します。しかし、くまおさんに聞くのです。リコーコピー機使用歴はくまおさんもお父さんも同じです。

そこで、なんで自分で調べないでくまおさんに聞くのかを尋ねました。

「その方が早いから」

とか言うわけです。思考が浅すぎます。聞かれたくまおさんはお父さんの代わりにまず問題の事象を把握して(自分の問題ではないのでこの時点で1工程多い)、調べて、解決策を見つけ、お父さんにわかる言葉に翻訳して、お父さんに教えるという幾つかの手順を辿らなければなりません。しかし、思考の浅いお父さんは、放棄した分をくまおさんが負担していることは想像できないようで、自分が放棄した事が誰かの負担になっているという想像が出来ないし、しないのです。思考が連続せず、ブチっと途切れているらしく、その連続性をいくら説明しても理解してくれません。

「自分で調べたらすごく時間がかかる。その時間が無駄だし、お前が調べたほうが早い。」とか平気で言っちゃう訳です。

知らんがな。そりゃあそうでしょう。何故ならくまおさんは日々思考を放棄しないように心掛けて、訓練しているので早いです。でも、それはお父さんが勝手に使っていい財産ではなく、あくまでもくまおさんの所有物です。そして、そんな事をしていたらずっと思考を放棄することになり、未来永劫代わりにくまおさんが調べてあげることになります。そんな事はまっぴらごめんです。

暇になると録画していたサスペンスを見ています。そんな事をしている位なら、業界情報誌を読んだり、推理小説でも読んで論理回路を鍛えてほしいと切に願っています。でも、60歳を超えたおじさんを外的圧力で変化させることは不可能なので、諦めます。

下記くまおさん七戒です。机の前に貼ってあり、毎日見ています。

  • 大衆は常に間違う。
  • 有能税を認識しろ。
  • それは自分の船の話?違うなら関わらない。
  • 調子に乗らせておけばいい。
  • 説得は無駄。恨みを買うだけ。
  • 言い合う時間は無駄。恨みを買うだけ。
  • 多少我慢してでも、無能たちのプライドを維持してやる安コストを払った方が安い。

ちなみに自己問題ではなく、他人問題を解決するというのは物凄く大変です。何故なら問題が何だか把握するのに時間がかかるからです。PCが動かなくなって何故こうなったのかを聞くと「何もしてないのに壊れた!」とかプリプリ怒って言うわけです。そんな事は聞いていないし、こちらは何とか情報を探ろうとしているのに、協力する気もないのか?と怒りが沸きます。

機械や車の修理で一番大変なのは「壊れた個所を見つける」事です。小さな部品の交換でこんなに高いの?と思った事はありませんか?そういう事です。だから、iPhoneは保証期間内なら修理などせずに、直ぐに新品に交換するのです。不具合を見抜ける熟練者を育て、配置し、そして修理するコストよりも、新品を差し出すコストの方が遥かに安いのです。不具合個所を見つける事は、思考放棄癖のある人が想像する数倍大変です。

くまおさんの場合、お父さんなのである程度対応しますが、もしもこれが会社の上司や同僚だった場合、なるべく関わらないように活動するでしょう。かえらない卵はいくら温めてもかえりません。

お父さんはよくこんなことを言っています。

「真面目な正直者が馬鹿を見る世の中はおかしい。」

それは確かにその通りだと思いますし、正直者が成果を得られなければ子供に示しがつきません。なお、くまおさんは日本という国は、結構、公正に評価される国だなと感じています。お父さん(建築業)曰く、建設現場担当者はつらく大変だけど、いつまでたっても評価が上がらない。給料も決して高くなく、適当なことばかり言って販売してくる営業マンばかり評価されるなんて不公平だと。

これに関して、くまおさんは「それは違う」と思っています。まず、日本はこれから人口が減る事がずっと昔から分かっており、この飽食の時代では製品の質ではなく、セースル力がものを言い、仕事をこなす事よりも、仕事を取ってくることの方が高く評価されます。そして、これはもう何十年も前から分かっていることであり、これからも建設現場担当者の立場が上がる事はないでしょう。様々な製品がコモディティ化されて、住宅はもっと簡単に、そして品質安定のために工場で生産されるようになると思います。そうなってくれば、現場技術者の地位は一部のトップレベルスペシャリストを除き、ますます下がる事が目に見えています。そんな事は分かっているわけです。現にセキスイハイムは工場で家を作っています。

それにも関わらず、そういった事を考えない、学ばないでまじめに働いてきたと言われても、それは本当に「真面目で正直者」とは言えないと思うのです。考える事を放棄して現状維持をした為に訪れた結果だといえなくもありません。ちなみに、くまおさんは建築士になろうと17歳の頃決めて、工学部建築学科に進学し、22歳でその考えを改め、セースルの世界に入りました。正しかったと思います。

ちなみに、大した偏差値の大学ではありませんでしたが、一応理系でしたし、卒業時の席次は3番だと教授に言われ、大学院は教授推薦で入れてやると言われました。最も仲の良かった建築学科の友人は居酒屋に就職し調理担当になりました。その彼とは今でも親友です。

いま、配送ドライバーの方は通販需要の拡大で大忙しです。しかし、将来的に自動運転が一般化する事は誰もが予想できる事実です。特に長距離ドライバーになれば、高速道路は自動運転にもってこいですから、高速道路に入るまでと、出てからだけを現地のドライバーが担当することになるでしょう。これも分かり切っていることです。10年後に「俺はドライバー一筋で真面目に働いてきた。寝坊や、事故を起こしたことなんて一度もない。それなのに仕事がなくなった。不公平だ。」と言われても、あまり同意できません。

「真面目で正直者、目の前に事に全力投球」というのは「言われた事しかやらないで思考を放棄した」という事と表裏一体だったりします。

くまおさんが前に所属していた上場企業で取締役だった人が、明らかに仕事が出来ない、人望がない人でした。皆その人の悪口を言っていました。「なんで、あんな奴が出世するんだ。うちの会社も終わりだ。」と。

しかし、色々と周りの人から話を聞いてみると、その取締役は休みの日は必ず社長の自宅まで自家用車で迎えに行って、ゴルフに付き合っていたそうです。それを聞いて、凄い事をしていた人なんだなと見直しました。見方を変えればゴマすりとも言いますが、自分に置き換えた場合にそこまで覚悟を決められるだろうか?と考え、無理だなと思ったのです。

その取締役には「会社の中で出世する」と言う明確な目標があって、その目標と自分の実力を照らして、最も効果的な自己PRを必死で考えたのだと思います。では、その取締役に文句を言っていた人たちが必死で自己PRを考えていたのかとえばNOです。どれだけ良い物を作ってもお客様に届かなければ、作っていないのと同じです。そして、世の中は良い物で溢れています。良い物を作っているなどという事は凄くも何ともないのです。良い物への全力投球というのは、実は「それを世間にPRする事」の思考放棄とも言えてしまいます。

「客が見る目がない」とか「良い物なのに売れない」とか、「客の顔色ばかり見やがって」とか、「上司がわかってくれない」、「営業マンは嘘ばかりつきやがって」とか。

幸いなことに日本では、各々の立場で思考を放棄しなかった人から順番に結果を出してゆきます。スピード感の違いはあれど、そこは公正に評価されてると感じています。

斜陽産業でいつまでもくすぶって、成長産業を見ながら「あいつらは運がいいだけだ」と言っても何も変わりません。成長産業を見極めて転職するとか、起業するとか、自社の方向転換をするとか、色々と出来ることはあるはずです。リスクを取る事と、何もしない事のリスクを考えずに思考放棄してはいけません。

お付き合いのあった、あるコンサルタントが言っていました。

「努力に逃げるな。」

以前にツイッターで話題になったツイートがありました。うろ覚えですが・・・

「彼はパソコンに詳しい人ではなくて、あなたの代わりに調べてくれている人」

思考を放棄しないでください。是非理解してください。ほんと、ほんと、お願い。