夏休みの宿題は誰得なのか?

いや~本当に何の為にあるのでしょうか、夏休みの宿題って。

そもそも、小学1年生の自由研究って無茶振りですよね・・・?自分でテーマを設定して、調べたり制作したりと、こんな事は大人でも出来ない人が多いはずです。
くまおさんの周りでもそうですが、結局親が作成します。そして申し訳程度にちょっとだけ色塗りなどをさせるわけです。

我が家では遅々として設定されない1年生次男の自由研究に際して、もう面倒になってしまったくまおさんがヘラクレスオオカブトを紙粘土で作ってしまいました。

そうです。もう作ってしまいました。
一応、材料は子供と一緒にダイソーへ買いに行きました。
くまおさんはイメージした立体を再現する事がまあまあ得意なうえに、建築学科学生時代に散々3次元の建築模型を作成していた為、写真があれば大体再現できます。
まずネットでヘラクレスオオカブトの写真をみて、適当な紙にスケッチします。スケッチした際に大体の構造を理解します。ヘラクレスオオカブトは3パーツに分けることが適当であろうと、スケッチしながら決めました。
材料は紙粘土をベースにして、足と角が弱くなるだろうと考え針金補強を視野に入れます。
着色は水彩絵の具で実施し、ニスで艶出しすれば十分だろうと想像します。
実際には、樹脂系の軽い紙粘土を購入しフリーハンドでなんとなく形つくり。立体想像力のある人なら、多分10分もあれば作れると思います。
それがない人は多分何時間やっても出来ないので諦めた方がいいです。
あくまでも小学生の自由研究なので細部やサイズバランス等の細かい修正はあえて行いませんでした。そこまで完璧にしてもね・・・時間もかかるし。まあこれで十分。
着色に関して、あえて透け感が出る様に水彩絵の具です。アクリル絵の具を使うと質感再現に失敗すると思います。この辺りは、絵の具を学生時代もいじっていた勘です。
その為、美術が不得意なママ等がチャレンジすると悲惨なことになる可能性が高いです。色の選び方や混ぜ方は意外とセンスが必要です。
このヘラクレスオオカブトは着色の際に茶色と紺色と黄土色を使用しました。
羽の甲殻部分はあえて一度着色し、その上から黄土色を塗る事で羽の質感を表現しました。色塗りは次男にも参加させました。
羽の部分は雑に塗ってもそれが模様に見えるし(水彩絵の具なので)、細部はくまおさんが前もって処理してあるので破綻する事はありません。
黄土色は次男が塗ったので雑ですが、あえて修正はしませんでした。

ここまでくまおさんが作業してしまっても、1年生のスキルを考慮して出来ることを考えたり、道具を揃えたり、提出に耐えうるクオリティ(主に学校まで壊れずに持ってゆける強度)を達成させるよりも楽です。
正直なところ1年生なんて幼稚園児の僅かな上位互換ですから、そんなものが自力で作れるわけがないのです。
来年も、次男の分と長男の分を考えて作らなければならないと思うとゲンナリします・・・。そうだ、来年はクワガタかアトラスにしよう!

さて、夏休みの宿題をやらせなければならない「意味」を教えて欲しいです。1か月勉強しないくらいで基本スペックが落ちるほど人間の脳は低性能ではないはずです。
これは負荷を掛けさせる側が証明する必要があります。逆にやらなくてよい理由は悪魔の証明なので不可能です。宿題を出す側がしっかりと説明する必要があります。

読書感想文も不要ですね~
これでくまおさんは奥さんと揉めました。何故ならばぁば(くまおさんの母)が孫(小5)の読書感想文を書いてしまい、それを孫が写すというチートを行ったからです。
それをくまおさんは「ママにバレなければいいな~」と思いながら眺めていたのですが、嘘がつけない小学生はママにバレてしまいました。
ママ曰く「ズルはとても良くない。万引きするくらい悪い事で、ママはとてもショック。書き直せ。」との事。

くまおさんとしては、そもそも読書感想文どころか、夏休みの宿題自体が無意味だと思っている(というか、意味があると証明した人を誰一人として知らない。)ので、どうでもいい事で何を騒いでいるんだ?自ら精神をかき乱して何故ダメージ食らってるんだろう?と不思議でならなかったのです。長男に諭しています。これはくまおさんへ確実に飛び火するタイプの事案です。
案の定飛び火してき、「ばぁばへの注意」と「長男の書き直し」の作業を負う事になりました。

で・・・長男の読書感想文の書き直しに着手したわけですが、書式としては「追記」で乗り切ることにしました。大体5行くらい追記させました。
読書量がそれなりに多いくまおさんなので、追記でとても魅力的な感想文になりました。ポイントは「他の生徒と異なる表現」です。
読書感想文なんてものは、大体似通ってくるものです。
これも成り立ちを考えれば容易に想像できます。小学生で自ら読書をしたい子は少数派なので、多くの場合で親が本を選びます。
親が選ぶ本は大体決まっていて、更に本屋に行くと「読書感想文用」として特集コーナーが組まれたりするので、ある一定の範囲内で収まります。
ですから、途中までは誰が書こうが大枠の内容はどんな読書感想文でも、ほぼ同じなのです。
違いは「最初」と「最後」に出ます。入りのインパクトと去り際の意外性です。
入りのインパクトは既に書きあがっており訂正できないので、去り際の意外性を演出することにしました。
これも幾つかパターンがあり、小学生の読書感想文ですから、ちょっとの味付けで十分だと判断しました。あまりやりすぎるとよくありません。
そこで、その本の背景についてくまおさんが説明して、それに付随する現代の状況をレクチャーし、その感想と疑問の投げかけを行い唐突に締めくくることにしました。
書いた本人も「こんな終わり方でいいの?」と不思議がっていたので、こう教えました。

くまおさん
「いいかい。社会に出ると人と違うという事、それ自体に価値があるんだ。おそらく他の子はこんな終わり方しないよね?するとそれを読んだ先生はどう思うだろうか?」
こども
「・・・?」
くまおさん
「それまで、先生は大体同じような内容の感想文を30枚くらい読まされている。脳みそが飽きてる訳だ。そこにこの感想文が登場する。」
こども
「うん、うん」
くまおさん
「その感想文は唐突に終わっているから、印象に残るし、先生はなぜこんな終わり方なのだろうか?とか、なぜこのように考えたのだろうか?と疑問に思い、それが残ったままになる。」
こども
「そうだね。」
くまおさん
「それでいいんだよ。あとは先生が考えればいい。人と違う事はそれ自体に価値があるんだ。」

よく言われる道徳的な指導に「相手の気持ちになって考える」というものがあります。情景も併せて想像します。これはとても大事です。営業マンにとって、相手の心理状態を想像しながら話をすることはとても大切です。結果を出す為には、相手の気持ちになって想像外のインパクトを残すのがコツです。営業マンの場合、「相手の気持ちになって、相手が嫌がるであろうことをあえて実行する」というマッチポンプを行う事も多々ありました。ちなみにこれを家庭内にまで持ち込むと揉めますし、そこまで考えて話すのは気力が必要なので、身内との会話では「相手の気持ちになって考える」というのはサボらせてください。

でね、長男の書き直しを指導しながら思った事があります。

「なんでくまおさんが指導するわけ?そもそも、くまおさんは書き直す必要はないと思っているし。気に入らないのではくまおさんではなくて奥さんだよね?ならば、その作業をするのは奥さんじゃなければつじつまが合わなくないか?」

次男の自由研究も似たようなもので、ママ発言の「あ~自由研究どうするの~」「いつやるの~」「結局パパが作っちゃったの?」という事に関して不思議が止まりません。

なんで全部くまおさんが作成する事が前提になっているのでしょうか?
だって、くまおさんは夏休みの宿題は不要だと思っているのに・・・
くまおさんは文章を書くことが得意です。工作も得意です。
するとその様な面倒な作業はくまおさんの所に自動的に回ってきます。確かに得意だよ。でもさ・・・面倒な事は一緒だから・・・。

夏休みの宿題なんて別に提出する必要はないと思っています。
子供に「提出しない事によっておこる不調和」と「提出しないことによる夏休みの作業量軽減」を天秤にかけさせれば良いのではないだろうかとさえ考えています。
さすがに低学年ではその判断は難しいのですが、高学年であれば自分で決めればよいのです。
提出しなくても先生に少々問い詰められれば終わりです。それが本人の許容範囲ならやらなくても良いと思います。

断言しよう。夏休みの宿題で子供の学力は変わらない。

昔からこのような事は経験があります。
どうも不公平に感じるのですが・・・作業が出来るスキルを持っていると仕事が集まってきてしまうんだよね・・・。年齢を重ねてそれが分かったくまおさんは、就職してからadobe系のデザインソフトが操作できる事を誰にも言わずに黙っていました。多分当初5年くらいは黙っており、自分である程度采配が振るえるようになってから、自分の為に使用を解禁しました。くまおさんはその際には下っ端ではなかったので、それによって余計な雑務が集中するという事はありませんでした。
そこで、「あ~やっぱり、スキルの出し惜しみというのもある程度は必要だし、出しすぎると損する事もあるな~」と身をもって感じました。

そして年末になると面倒な作業が降りかかってきます。それが年賀状の作成です。
これが毎年とても嫌です。ハガキを買って、名簿を整理して、デザインを作成して、印刷屋に注文して・・・いざ宛名印刷をしようとするとプリンターが動かなかったり、インクが切れていたり・・・。毎年とても憂鬱です。
じゃあ、全部印刷屋に任せればよいじゃないかという意見もありますが、それでもデザインは選ばなければならないし、奥さんとの意見調整もしなければならないし、その分費用も掛かります。印刷屋に任せる為の住所データ等の再登録等が必要だったり、我が家のお金の管理は基本的にくまおさんなので、資金の捻出も同時に考えなければなりません。これは本当にメンドクサイ。

多くの家庭では奥様がお金の管理をしていることが多いようです。
くまおさんの両親もお母さん管理です。
ただ、くまおさんは考え方が異なります。お金を「使う」だけならば奥さんが管理すればよいと思うのですが、入ってくるお金に関しては「増やす」も併せて考えるべきだと思っているので、必然的にくまおさんが管理することになります。
お金に関する知識は奥さんよりもくまおさんの方が多いので、必然的にくまおさん管理になります。
給料が足りないという事になれば、別の所で稼いで補填します。補填しきれていない事もあるので奥さんにはストレスを与えてしまっているかもしれません。ごめんなさい。

別収入はアフィリエイトだったり、仮想通貨だったり、株式投資だったり、為替だったり。色々と「増やす」為に手を尽くしています。
これはまあまあ大変です。運用の大小で金利差を考えて資金移動したりする事もあったりします。
お金儲けはくまおさんのライフワークなのでそこまでストレスは感じていないのですが、それでも結構面倒です。

ちなみに、「ディズニーランドに行きたい!」というのもなるべく実現するようにしたいと考えています。これは「増やす」につながると思っているからです。ディズニーランド訪問は十分に子供に対する投資として納得できます。

もっと収入が増えれば事情が変わるのか・・・それとも増えたら増えたで支出も増えるので別の問題が発生するのか・・・
こればかりは体験してみないと分かりません。