高校のPTA会長を1年やったけど余裕だった話

来年の5月で1年経過という事なの厳密にはまだ半年ちょっとなのですが、大きな行事は概ね終わり次期会長の選定に入ったので役目は終えたという事で記録したいと思います。

長男が公立高校に進学して年末になった頃、PTA選考委員(次期役員を決める委員会)の担当者から電話が入り「PTA役員になってくれませんか?」と言われました。突然の電話だったこともあり、また、長男が楽しそうに学校に通っていて学校には感謝もしていたので「役職は何でも構いません。お受けします。」と回答したところ、間もなくして会長就任依頼の連絡がありました。

PTAって本当に皆やりたがらないですよね。また、そもそもPTA活動が今の時代必要かどうかという議論に対する私の見解ものちに述べようと思います。

長男の学校は7名のPTA役員(会長、副会長2、書記2、会計2)と、文化委員、広報委員、選考委員、学年委員でざっくり50名くらいから成り立っています。大所帯に見えますが、実態としては各委員が各々活動するので50名全体を会長が引っ張ってゆくという事は無く、活動は計6回(全体会議4回、体育祭、文化祭)のみです。

ただ、会長は例外で地域連絡会、学校評議会といったような会議に計5回出席する必要があります。ですから、大体10回位学校に行けばいいという具合でした。私の場合は、例外的にいくつかチャレンジや検証を行ったので、その倍くらいは来校しましたが、例年通りならさほど多くはありません。

でね、これが全然大変ではないんですよ。世間の人々が考えているほど難しいなどという事は一切ありません。会議と言っても(誤解を恐れず申し上げれば)、ほとんどが奥様なので、会社の会議の様に詰められる事もなければ、指摘される事もなく、改善案を求められることもありません。シャンシャン会議で、皆喋らないシーンとした空気の会議です。

ですから、プレッシャーもなければ、なんて事の無い会議です。(決してそれらを軽視しているわけではありませんが・・・)現代では多くの人が仕事を持っていて社会の仕組みに少なからず触れていると思います。フルタイムの仕事でなくても、パートでもアルバイトでも色々と管理をすることがあると思います。それに比べると、とてもシンプルで難しい事はありません。正直、この程度の会議であれば準備せずとも、ぶっつけ本番でも全く問題ないです。

雰囲気の柔らかい気の弱そうな女性が会長職を担当していた場合、そういった会議の場で指摘されたりする可能性は十分にありますが、それを言い出すとキリがないのであくまでも私の感想として書いています。少なくとも私に難癖を吹っ掛けてくる人は居なかったという事です。

学校側とのやり取りに関しても、前年踏襲するのであれば特にすることはありません。同じ資料を出せば通過するからです。また、新しい事をやろうとしている場合もなんてことありません。会社で作っている報告書の様なものを作ったり、簡単なプレゼン資料を用意して説明すればちゃんと学校側に伝わります。交渉がうまく行かない、めんどくさいというのは、ちゃんと準備をしないで口だけで学校とやり取りするからです。

会社の様な資料を作るのが大変という人もいるかもしれませんが・・・そこはもう、高校生の保護者の年齢だと若くて30代後半、上は還暦近いので、その人個人の能力不足として考えざるを得ないと思います。一般的な会社員で誰かを納得させるための資料を作ったことがある人なら大したことはありません。ただしそういった意味では書類仕事ではないタイプの職業についているい方には向いていないかもしれません。

書記の方が形式的な事務作業を担ってくれますが、その書記に対して自分の頭の中のイメージを言語化して伝える必要があるので、国語が得意でない事もハンデではあります。文章で他人とやり取りする事を業務としている人は問題ないです。とは言っても、こういった内容もこれらの年齢であれば一定は有しているというのが前提ではあると思うので、個人の努力やこれまでの選択の問題だと思います。業務が難しすぎるという事ではありません。

PTA会長になって分かったのですが、今の学校という組織はほぼ会社です。数字目標が東京の場合は都庁から下りてきて、それを学校が追いかけます。目標は四半期毎に数値化されており、その達成具合を学校内、またそれらの連絡会議等で報告する必要があります。達成していれば問題なく、未達成の場合はそれを達成させるための対策を提示しなければなりません。そういった事を今の学校の先生や、事務局は実施しています。ですから、一般的なビジネスフォーマットでやり取りすればなんて事はなく、またPTAが担っている部分は学校運営のほんの一部なので、難しい事はありません。

息子が通う学校は偏差値の高くない公立高校なのでそこまでシビアではありませんが、高偏差値の学校や私立高校ではもっと厳しい管理であろうと想像できます。

恥ずかしながら今まで子供のPTAの活動をしてきた事がありませんでした。それらは妻が担ってくれており、ちょこちょこと話を聞くことがありました。そこで、「広報誌の学校側のチェックが厳しくてとても大変だと聞いた」という事がありました。また、高校PTAの書記さんも「PTA便りが学校から赤チェックだらけで・・・」と言っている話も聞きました。その際は「そっか~大変だな~学校側ももっとおおらかにしてくれればいいのに」と感想を持っていました。

ところがどうも辻褄の合わない事が何回か発生しました。私は会長なので広報誌の挨拶文や、記念行事への長文寄稿などの執筆依頼があったので何度か学校側へ文章を提出していたのですが、一度たりとも、一言一句修正されたことが無いのです。

そこで私はある仮説を立てました。

「PTA側が提出する文章がよほど稚拙なのではないだろうか?」

上記にも書いたように学校はほぼ会社組織です。ですからチェックする側が無理難題を押し付けてきたり、ビジネス慣習上おかしい要求をするとは考えにくいと言えます。また、学校側から見た場合PTAという組織は、ほぼ腫れものです。とても気を使われている事を感じています。その組織の発行物に対して積極的に難癖をつけてくるとは考えられません。ですから、PTA側の文章がよっぽどダメなんだなと理解しています。

機会があれば書こうと思いますが、文化祭や発行物、式典挨拶などでいくつかのチャレンジをしました。それにあたり、学校側と交渉したり許可を取ったりしなければならない事がまあまああり、それらの動きを行っていました。そして、その際のやり取りは基本的にはメールであり、エクセルやワード、パワーポイントで作成した資料や報告書です。特に学校に訪問するわけでは無くそれらのやり取りで十分に事が足りました。何故なら、相手もビジネスマンだからです。いうならば都庁が本店で、都立高校は支店みたいなものです。支店長が校長で教育委員会がエリアマネージャーの様なイメージでしょうか。

私の場合はいくつか試してみたいことがあったので、PTA委員の皆さんを前にスライドを使ってプレゼンテーションをしたり、文化祭でゴリゴリにマーケティングしてみたりと、例年通りとは言えない活動をしたのでそれなりに労力を使いましたが、とは言っても普段の仕事に比べればごくごく簡単な準備と仕事でした。例年通り実施するのであればその様な事をする必要はありませんので、仕事はほぼないです。なお、それらの奇抜な内容を実施する際には事前に学校側に報告したり、可能な範囲のすり合わせは書面にてしっかりと行いました。先生方の負担を増やす事の無いように、また公序良俗に反するようなことはしない様に配慮して実施しています。

また、将来政治家になりたいのかな~というような感じの、地域の少年野球チームのコーチをやっていたり、消防団に入って、ガハハハッ笑う空回り系オジサンにはなりたくなかったので、そこは十分に気を付けたつもりです。

「お前は何もしてないから余裕だったとか言うんだ!」と経験者から言われるかもしれません。ところが、これがいくつか面白い事や次世代に残す環境作りを実施しました。

ヘタっていた備品は一通り買い換えました。足りないものや必要なものは買い足しました。また、あいまいなまま残っている慣習や引継ぎ事項等はクラウド型ビジネスチャットツールを導入して次世代に引き継げるよう整備しました。各役員の連絡手段もそれらに統一したので、だいぶスムーズになりました。

当校では行事毎に警備員を必要とする仕事があり、それらを各委員で担当していましたが、どうしても不公平感がぬぐえず、スケジュール調整が大変であるという事案がありました。そこで、民間の警備会社に外注する手はずを整え、実際に稼働させました。これに辺り、業者の比較検討、契約書の簡単なリーガルチェック、調整、学校側の許可、教育委員会の許可、発注方法、支払い方法、それらを次年度以降に引き継ぐ準備を行いました。文字で書くと大変に見えますが、要は企業と、お客様として基本契約書を交わしたというだけの話です。大したことではありません。

文化祭のPTAブースではやや変わったことを実施し、例年比400%の売上を短時間で達成しました。なお、これは4倍の商品を仕入れて販売したら午前中で売り切れたという事です。もっと仕入れをしておけば販売機会の損失が無かったと悔やまれ反省しています。高校生相手に大人の力でマーケティングした結果がしっかりと出た事例です。

何よりもうれしかったのは、他6名のPTA役員が「PTAを引き受けたときは面倒だと思っていたけれども、やってみたらとても楽しかった」「自分の高校時代よりも頑張った」と言ってくれて、且つ自分からアイデア出しをしてくれるようになったことです。PTA活動からしか得られない栄養素があると感じましたし、この言葉や反応だけでPTA会長を引き受けた意味があったと思いました。

また、先日学校の周年行事があり、PTA会長として登壇して約1000人の前で話をしてきました。しっかりと練りこんだ900文字3分の原稿を、これまたしっかりと練習して披露しました。寝ている生徒が起きる位には好評でした。

この手の来賓の挨拶というのは大体内容が決まっており、「君たちには無限の可能性が広がっている」「失敗を恐れずチャレンジしてほしい」「親や周りの人に感謝」「社会は厳しい」といった内容単体か、それらの複合&体験談です。当然にそれに準ずる話はしませんでした。先が読めるしつまらないからです。お葬式の様だった会場の雰囲気を一変させて、私の次の来賓が「会長さんが会場を温めてくれたから話しやすかったです。」と言ってもらいました。前説としては大成功だったと言えるでしょう。会が終わった後も来賓数名からお褒めの言葉を頂きました。

流石に登壇挨拶やプレゼンテーションは慣れやテクニックが必要なので簡単だとは言いませんが、挨拶が嫌なら「挨拶なし」という事を学校と交渉すればいいのです。理由を説明できれば多分通ります。勝手にこちらがダメだと思っているだけで、相手はビジネスマンですから説明すれば通じます。

PTAはそもそも必要なのか?

ここに触れないわけにはゆきませんね。私の感じた事としては不要だと思います。PTA役員やそれに準ずる活動が無いとしても学校運営は成立します。また、特にPTAの意見を要する学校の決定事項はありません。

家族の形態も変わってきており、共働き世帯はもちろんの事、片親世帯、その他の事情、相対的貧困率の問題なども鑑みると、従来PTA側が想定していた家族は少数派になっており、物理的にも動けないというのが現状でしょう。今までと同じ内容での継続はそもそも困難です。

これも「うちの学校のPTAはこんな役割があって云々・・・」と言われそうですが、それらはおそらくほぼ外注化、システム化が可能だと思います。ただ、学校の予算だけでは賄えない事があるのも事実の様で、協賛金か何かの名目で各家庭から年間数百円~数千円の支出をしてもらうなどは必要かもしれません。それらの管理はFreeなどで税理士に外注するなり、学校の経理担当がいるでしょうからそこに含めてもらう等の調整は必要です。

それらも本来は行政側で予算付けなどで解決すべき問題だとは思いますが、今すぐに変わる事は無いし、それを問題と認識させるような政治家がいるか分からないので、とりあえずは何かの手当てが必要な事は事実です。

PTA会長を経験して良かったか、悪かったか?

良かったと思います。40代を超えてくると全く新しいコミュニティに参加するという事は少なくなります。また、何かしらの過去の実績をベースに人間関係が出来上がっているので、仕事で新しい人と会うとしても真っ新状態という事は無いでしょう。それが、全く知らない人の輪に放り込まれるという体験を久しぶりに経験して、また、高校というとてもエモーショナルな場所に行く機会に恵まれて、眠っていた心の深いところが刺激されました。

PTAの活動は基本的にめんどくさいです。別にやろうが、やらなかろうが誰からも何も言われませんし、お金になるわけでもありません。文化祭で4倍の実績を出しても実入りがあるわけではありません。

ただ、私に関しては興味深い事の方が上回りました。学校の仕組みだったり、大人になってからこそ見える文化祭の穴やチャンスだったり、人の動き方だったりと。幸いにして、これらの活動範囲が私のスキルでコントロールできる内容であり、いろいろと試して、効果測定するのに十分な環境でした。そしてこれまた幸いにして、それらを面白がるだけの余裕が私にはありましたし、それを人々にPRするスキル、発言に説得力を持たせる背景を持っていました。

私よりもマーケティングに強くて、プレゼンテーションが上手で、リーダーシップのある人は世の中に沢山います。しかし、同時にPTA会長で上記スキルを有する人という事になるとおそらくほぼ居ません。全国のPTA会長をかき集めてプレゼンテーション大会をしたならば私はトップ3くらいに入れる自信があります。

自分よりも強いやつが居ない場所で戦うというのはとても大切です。

面白がるというのは十分なスキルがあることが前提なので、皆さん全員がPTA活動を面白がれるかは分かりません。というか面白がれない人が大半だと思います。トップである会長がそういった考えを持っていないと、その期は絶望的です。また会長が改革派だとしてもスキルが足りないおじさんだったりすると、ただのメンドクサイ老害集団になりかねません。

PTA会長職を通して感じた事として「面白い事」というのは、めんどくさい事や大変な事と、出来る事の境目に存在していて、それらを達成したときに結果として「面白かった」と言えるのではないかという事です。これも答えにたどり着いたわけでは無く、あくまでも仮説ですがとても良い経験でした。

追伸

前職の上司と食事に行く機会がありました。その上司は現在50代で上場企業子会社で社長をしています。その人はこういう話が大好物なので、私はiPadに文化祭出し物のプレゼンテーション資料を準備しておきました。

飲み会も中盤になってきたころに、PTA会長を拝命しているという話から、文化祭PTAブースのプレゼンテーションを披露した所、とても面白がってくれて「これは俺の忘れていた何かを思い出させてくれた気がする。ここだけの話にするのはもったいない。」と共感してもらいました。

※このプレゼンテーションは限られたコミュニティで披露する分には問題ないのですが、残念ながら、いくつかの権利が絡み合っているので一般公開は難しそうです。

私は飲み会ネタとして最強のエピソードを手に入れる事に成功しました。満足。

追伸2

2期目の会長は辞退しました。今期の役員に、「ただでさえやりたがる人がいないうえに、縦横無尽に動いた会長の後は絶対にやりたく無い」と言われました。

それは申し訳ないなと思いましたが、社会とはそういうものです。1年だからこそできる事があるし、数年関わらないと実現しない事もあります。私は1年用にエンジンをうならせて進んできたので、もうお腹いっぱいです。

後述

この記事を書いた時点では会長が決まっていないかったのですが、間もなく次期会長が決まりました。そこで、「やっぱり1年で退いてよかったな」と痛感。

 というのも、何人か、というかまあまあの人数の方に、もう一年やってくださいとお願いされました。その中には次の役員がいないからもう一年やってくれと言ってくる方も当然いるでしょうし、本当に私に意味を感じてくれてもう一年と言ってくれた方も居た様に感じました。

 実際にPTAの活動においてほぼホームグラウンド化して、なかなかに居心地の良い空間になっていました。だからもう1年やれない事は無かった。そして、PTAの事務員さんや、校長も「もう1年やると思っていた」と言っていました。

 これが答えだなと思って。ここまで会長職を全うした人は普通もう一年やるって事なんだなと感じたわけです。そして「あ~こうやって勘違い老害おじさんが生まれるんだなと」。

 何だかんだ居心地がよくなって、続けちゃうのが老害だと思ったのです。惜しまれるくらいで綺麗にやめてこその美学というのがあるわけです。1年できっぱりやめたことで、過去の活動に正当性が出てくるという事がある。「あの会長はふわっと現れて、幾つかサクッと改革して、そして直ぐに辞めて行った。」と思われたい。

何だかんだ、他の委員におだてられながら続ける醜い豚になりたくない。ハイブラの豚にはなりたくない。

追伸3

 辞めるまでまだ少し時間があります。そこで、疑問に思っていたPTAの大量の印刷物は何とかならんのか?広報誌は低スキルの主婦が群がって作るより、1人のクリエイターに任せた方が、手間が減ってクオリティが上がるだろう。次期役員決めの為に、主婦の委員にテレアポさせてもそりゃあ、決まらないし、不満たらたらになるよね。これって、スポット利用のテレアポ外注で何とかならんのか?

 他にもいくつかあるのですが、これらの外注の道筋だけつけておきたいなと考えて企業との折衝を準備中です。

そして、文化祭で販売した製品のクオリティが低かったので、来年は変えたほうがいいと思っています。この企業とはやや癒着っぽい雰囲気があるので、別の業者に切り替えてしまおうかと思っています。これも、別ルートで業者を選定中です。

ここまで準備しておいてあげれば、使うか使わないかは次の役員会や会長が決めてくれればいいと思います。